第2回 中国の人海を泳ぐ |AERA dot. (アエラドット)

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第2回 中国の人海を泳ぐ

文・東苑泰子

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【中国 鄭州】鄭州駅前広場。鄭州は河南省の省都。その中央駅前には大きな広場があって、大きな荷物を持った人たちが、自分たちの列車を待っている。中国の州都の駅前は、大抵だだっ広く、人々と荷物で溢れている

【中国 鄭州】鄭州駅前広場。鄭州は河南省の省都。その中央駅前には大きな広場があって、大きな荷物を持った人たちが、自分たちの列車を待っている。中国の州都の駅前は、大抵だだっ広く、人々と荷物で溢れている

【中国 洛陽】龍門石窟で出会った学生たち。中国には、日本のアニメや文化を愛好する若者が多い。ここで出会った学生も、私が東京から来たと言うと、「アイ ラブ トーキョー!」と興奮して英語で言い、記念撮影をした後私に握手を求め、「さようなら?!」とニコニコ顔で手を振ってくれた

【中国 洛陽】龍門石窟で出会った学生たち。中国には、日本のアニメや文化を愛好する若者が多い。ここで出会った学生も、私が東京から来たと言うと、「アイ ラブ トーキョー!」と興奮して英語で言い、記念撮影をした後私に握手を求め、「さようなら?!」とニコニコ顔で手を振ってくれた

【中国 同仁】六月会のシャーマンの踊り。西寧から南東にバスで3時間行くと、チベット族の住む山間部に着く。その辺りでは、毎年7月に大きな夏祭りが開催されている。シャーマンたちを中心に、村人が様々な踊りを自然の神に捧げる、仏教以前から続く古い伝統だ。この時神がかったシャーマンたちは、自分の頬や背中に長い針を刺し、トランス状態で踊りながら、その年の村の収穫などを預言する

【中国 同仁】六月会のシャーマンの踊り。西寧から南東にバスで3時間行くと、チベット族の住む山間部に着く。その辺りでは、毎年7月に大きな夏祭りが開催されている。シャーマンたちを中心に、村人が様々な踊りを自然の神に捧げる、仏教以前から続く古い伝統だ。この時神がかったシャーマンたちは、自分の頬や背中に長い針を刺し、トランス状態で踊りながら、その年の村の収穫などを預言する

 7月1日に中国山東省の青島に上陸し、そこから列車に乗って、西へ西へと旅してきた。済南、泰山、開封、鄭州、安陽、洛陽、太原、平遥、延安、西安、蘭州、西寧、同仁、玉樹。左の地図をご覧いただきたい。この1カ月間、主な都市を回りながら、広い中国を駆け抜けてきたことがお分かりいただけるだろう。

 中国は90年代後半から、1週間から1カ月ほどの期間で、何回か訪れていた。北京、上海、広州、西安、成都といった大都市を観光し、ハルピン、長春、瀋陽、大連といった日本とも関わりの深い都市の元大和ホテルに泊まり、桂林から貴州省や雲南省の少数民族の村を回り、武漢、南京、楊州、蘇州と長江沿いの都市を訪ねた。それでもまだ、まさに中国歴史の中心地である黄河沿いには行っていなかった。それで、今回シルクロードに至るまでの道のりに、それらの都市を組み込んだ。

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 それにしても、中国の国内旅行は、「こんなに大変だったっけ!」と思うほど体力と時間を消耗した。まず、暑かった! 私の住む東京より北にあるので少々涼しいだろうと想像していたが、見事に裏切られた。連日30度以上、特に西安は37度と酷暑で日差しも強烈、油断して日焼け止めを塗らずにちょっと外に出た間に、顔が焦げてしまった。そしてどこへ行っても人が多い。そのため、何をするにも列を作って並び、予想以上の時間がかかった。

 例えば、列車に乗るときのことだ。まず窓口で切符1枚買うのに40分はかかった。自動券売機は、沿岸の大都市にしかなかった。しかも夏休みで人々の移動の多い時期、当日では立ち席もないことが多いので、数日前に買っておかなければならなかった。当日駅へ行くと、構内へは切符を持った人しか入れず、荷物のX線検査もあるので、駅前に設けられた鉄柵で仕切られた通路に並んだ。構内へ入ると、大きな電光掲示板を見上げて、空港のゲートのように改札のある待合室(室というより広場)の番号を確認して進み、改札が開くのを待って、大きな荷物を持った人々と一緒に待合室で並んだ。ついに改札が開きホームへ行くと、列車に乗るために車両の前で並んだ。そして何時間も硬く狭い席に揺られてようやく目的地に到着し、駅を出たところで、タクシーに乗るために更に30分以上並ばなければならなかった。

 駅ほど大変ではないが、ホテルでチェックインする時も、美味しい小吃(スナック)を屋台で食べるときも、バスに乗る時も、先ず、並んだ。

 並ぶといっても日本とは様子が異なる。中国は日本と比べて空気がワサワサと騒がしい。人々はのべつまくなしに喋っていて、日本人のような静けさを持ち合わせていない。そして、東京では雑踏を歩く時に、どんなに隙間が狭くともお互いスッとわずかに身を躱(かわ)して触れ合わないようにするが、ここでは反対に軽くぶつかり合いながら進んでいく。まるで、ぶつかることで自分の回りに何があるのかを確かめる、といった具合で、多少の触れ合いは全く失礼にはならないようだ。割り込みも当たり前で、日本のように縦に列を作って並んでいると、次々と前に人が割り込み自分の順番が回ってこない。その上、中国の人たちは大抵家族連れかグループで行動するので、一人の私は彼らに押しのけられて後回しにされることもあった。駅では改札やドアが開くと、狭い通路に向かって人々が突進して行くので、おしくらまんじゅう状態だ。これでは生存競争ではないか! と最初は驚いたが、まごまごしているといつまでも通れないと覚悟し、思い切って割り込みをしてその波の真ん中に入り込み、人波に押されて狭い改札を通ってみたが、まるで汚れたまま脱水機にかけられた洗濯物になった気分だった。

 列車に乗るだけで大変な熱気だ! この勢いは凄いぞ、と始めは思っていた。しかし、このような駅でも利用客数が多い日で一日30万人と聞いて、拍子抜けしてしまった。私がよく利用する新宿駅は、一日の乗降客数330 万人で世界一だ。その新宿駅では、切符を買うのに3分と並ばず、改札も自動で、ラッシュアワーの満員電車内以外では人とぶつかることもほとんどない。そこで、中国は活気があるようで、実のところせっかくのエネルギーを無益な衝突に消耗しているのではないか、と思い直した。

 それでも、列車の硬座の旅は、前に乗った時より楽しく感じた。硬座とは2等席で、文字通り席が板のように硬く倒れず、座席も通路も狭い車両だ。以前は、日焼けした土工や農民が大きな麻袋を持って乗り込んでいた。カメラやスマホを取り出そうものなら、じっとそれらを見つめていて、もしや盗られるのではないかと、不安を感じ緊張していたのを覚えている。しかし今回は、人々の持ち物がすっきりとしたスーツケースやスポーツバッグで、皆スマホをいじっている。タブレットで映画を見ている人や、一眼レフを首からぶら下げている中国人旅行者もいる。夏休みで家族連れや学生が多いせいかもしれないが、人々の表情も明るく、隣に座った私が外国人だとわかると、「どこから来た?」「どこへ行く?」「何日間中国を旅行しているのか?」とすぐ話しかけてきた。日本人とわかると、ニコニコしてじっと見つめられることが多かった。どうやら日本のことをテレビで見たり聞いたりしてはいるものの、実物の日本人に出会ったことがなく、珍しい客が目の前にやって来たのを喜んでいるようだった。そして、私の中国語が拙(まず)くても、飽きずに話しかけてきたり、近くの席の英語ができる学生を呼んだり、挙げ句に、英語を習っている子供の練習相手をさせられることもあった。そして私が降りる駅が近づくと、「よい旅を、さようなら!」と送り出してくれた。

 列車の中だけでなく、行く先々でずいぶん親切にしてもらった。道を聞けば、英語のわかる友人にわざわざ電話をかけて私に目的地を教えてくれた。レストランで出会ったバイトの大学生は、夏休みに行ったチベットのラサからお土産を買ってきてくれた。あるホステルでは、真夜中に到着したにもかかわらず、お腹がすいた私をバイクに乗せて、その時間でも開いている市内の麺屋に連れて行ってくれた。大学生はとてもフレンドリーで、「日本はいいね!」「一人旅ってすごい、勇敢だ!」「私も将来世界を旅したい!」と言い、彼らがよく使っているSNSを通じて、別れた後もチャットしている。彼らの親は文化大革命の頃に生まれたのではないだろうか。多分、20年近く前に初めて中国を訪れたとき、外国人への対応が一方的過ぎて話しにならなかったホテルや店の若い娘たちと、彼らの親は同じ世代なのではないだろうか。当時は、外国人と個人的に親しくなる機会は少なかったのではと想像すると、大学生たちと交流できることに一層の喜びを感じるとともに、では彼らのオープンさは一体どこで育まれたのだろうかと、不思議に思いもした。

 このように人海にもまれながら、快速列車の硬座やバスを乗り継いで、シルクロードの手前まで到着した。その快速列車の線路の横に、新幹線のような高速鉄道の線路が敷かれて、西へ西へと延びている。そして、その高速鉄道用の新しい駅が地方都市の郊外に建設され、駅前はビジネス街や高級住宅地として造成されている。30階はある高層ビルの建設がいたるところで進められていて、どこも同じ、絵に描いた通りの町並みが出来つつあった。

 蘭州を過ぎると、少数民族の地域になった。西寧から寝台バスで20時間かけて、海抜3800メートルにあるチベット族の高原の町へも祭りを見に行った。そこへの道が悪路だとネットで調べて覚悟してきたが、その悪路に沿って鉄道や新しい高速道路が建設中だった。ようやく人の少ない高原の清涼な町に着いたとほっとして市内を歩くと、整備された広場を中心に商城と呼ばれる大きなデパートがあり、お土産物や中国湾岸で作られている靴やスポーツ用品を売る店が並んでいた。大通りには立派な総合病院や税務署が建っていて、中国銀行まで支店を準備していた。町を貫く川は河岸に遊歩道ができ、それに沿って建築中の住居や商店は、モダンチベットと呼べるようなデザインで統一されている。チベット高原の町テーマパークのように見えなくもない。

 見た目はきれいで整った町並みを見ながら、中国の人たちは、どうしても自分の手をつけずにはおられないのか、しかも紋切り型に。ここにはもう、アフリカや中南米のような大自然はないのかもしれない、と残念に思った。道路が完成すれば、一眼レフをぶら下げた観光客の一団が、喋り散らかしながら大挙してやってくるに違いない。生活に余裕ができて、ワンランク上の住居やレジャーにお金を使うようになったのは、とてもいいことだ。しかし、不動産投資などで現金がすぐできる層と、労働対価を得て日々余裕のない暮らしをしている人々とのペースの差は依然として大きい。発展中の国ではあるが、頭や口が先走り、それに体を無理矢理合わせようとつんのめっているな、と感じざるを得なかった。


(更新 2014/8/ 6 )


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プロフィール

東苑泰子(ひがしぞの・やすこ)

 東京都出身。ニューヨーク近代美術館でインターン中、世界中から集まる人々に出会って地球の広さに衝撃を受け、キャリアを変えて世界を見る旅をするために?結婚! 海外勤務もあるサラリーマンの夫に励まされ、これまで訪れた国は100カ国以上の「旅主婦」。翻訳家の父に鍛えられた語学力と健脚・健啖を活かして諸国を歩き、出会った人々、その街・その国の風景を抜群の反射神経でパチリ。ミャンマー祭り2013 日本・ミャンマー交流写真展、優秀賞受賞。

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