諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した(撮影/写真部・長谷川唯)
諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した(撮影/写真部・長谷川唯)
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「飯を食っていくことを考えろ」

 高校3年生のとき、進路相談をするために、親に自分の考えとか夢とかについて話したときに返ってきた言葉だ。今でも人生における重要な選択の度に、この言葉が頭に浮かぶ。

 何度も何度も浮かんでくるので、「本当にそれでいいのか」と誰かに問い詰められているような気持ちになる。何となくこの言葉が好きではない。言葉の内容自体は、別に当たり前のことだ。

 うちは裕福な家庭ではなかったので、大学に行くなら多額の奨学金を借りる必要があった。大学を出ても食いっぱぐれないように、緻密に計算をしながら、人生設計しないと路頭に迷ってしまう。もしも自分が親だったら、似たようなことを言ってしまったかもしれない。

 でも当時の僕は、「金がないと夢さえ見れないのか」と感じた。どこに生まれるかなんて選べるわけじゃないのに、それによって人生の自由が制限されてしまう。そして自分には、自分について決定する権利すらない。そう思うと、何だか空しいし、悔しかった。

 結局は半ばけんかをしながら、ある程度好きにさせてもらった。その代償というと変かもしれないが、奨学金の返済額は学部時代だけで1千万円を超えた。だからといって、別にこの社会が憎いなんて思っていない。去年くらいまで奨学金や自分の境遇について人前で話すこともなかった。別に口に出したところで自分の人生が良くなるわけでもないし、この世の中で受け入れてもらえるとも思わない。できるだけ考えないようにしておいたほうが、精神衛生にもいい。ただ現実に適応して、自分の損得で動く方がずっと楽だ。

 でも僕は同じような思いを、自分より下の世代にはしてほしくないなと思っている。

 もっと身近な存在でいえば、年の離れた妹にはそういう思いをしてほしくないなと思っている。勝手な心配なのかもしれないけれど、古くさい価値観が染み付いた田舎に生まれたから、「どうせお嫁に行くんだから、借金してまで勉強することはない」とか思われて、僕みたいに多額の奨学金を借りてまで好きにさせてはもらえないんじゃないかと思う。

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