日本の宗教、神道。独自の美意識で、日本人のアイデンティティーを支えている。
本書『神道――日本が誇る「仕組み」』(朝日新書)は、日本の人々のくらしや社会、政治において大きな役割を果たしてきた神道という「文化」の歴史的背景を明らかにする一冊。著者は明治学院大学教授で日本古代史、歴史哲学が専門の武光誠氏だ。
武光氏は神道について「自然を守り、良い人間関係を築くための戒め」だと述べる。そして、それは「道徳規範」として、今なお我々日本人に根付いているのだという。
神道の起源については諸説あるが、武光氏は縄文時代の精霊崇拝――あらゆるものに宿る霊魂が集まったものを神様と考え崇めること――に原型があるとみている。
縄文人は、農耕は自然を支配する神様の許しを得て、神様の土地の一部を使わせてもらうものと考えていた。その後、日本列島で国や社会が形成される中で、人々をまとめていく「仕組み」として神道は変遷を重ねてゆくことになる。そして、現在の日本でも、形式上では神道という信仰を通じて皇室を中心に一つにまとまっていることになっている。武光氏はそう説明する。
そんな神道でもっとも重んじられたのが、自然を大切にして人と人とが信じ合い支え合って生きる「和の心」。武光氏は、そんな「和の心」が、和歌、雅楽、能、茶道、華道、歌舞伎、俳句など日本の伝統文化を生み出してきたと語る。
また「和の心」は、ここに来て、日本の宗教界にある変化をもたらしている。
もともと神道と仏教は江戸時代まで一体のものとして扱われていたが、明治政府の神仏分離政策により、神道は仏教の上位に置かれ、仏教やキリスト教は特定の信者のもの、神道は全国民が信仰すべきものとされた。そして、第2次世界大戦後、神社は寺院と同列の宗教法人とされたが、再び神仏習合の時代に戻ることなく、別々に独自の道を歩んできた。
しかし最近になり、一部の神社と寺院の間で新たな形の接近がみられるようになっているのだ。
たとえば平成15年に京都の南禅寺で行われた亀山天皇の七百年記念法要では、多くの神社関係者と寺院関係者が参列している。さらに同じく京都の清水寺でも、僧侶と岩清水八幡宮の神職らによる国家安泰世界平和祈願祭が開催されている。また、足利義満公六百年法要は、金閣寺の僧侶と岩清水八幡宮の神職によって行われている。
このように神仏合同の行事が、近年、多く見られるようになっている。武光氏は、これも、「和の心」によってもたらされたものであろうと語る。
「神道はもともと人びとの和を実現するための宗教で、自己主張を控えて他者との融和をはかってきた。しかし、仏教、儒教を拝した復古神道の思想によって国家神道の形をとった時代の神道は、その底に攘夷主義を持つ排他的なものになっていた。しかし国家神道が否定されたあと、神道は再び開かれたものになってきたのである」(本書より)
今、再び開かれつつある神道。排他的な主張が目立つようになった今の日本社会とは、非常に対照的といえるのではないだろうか。日本独自の美意識、そしてアイデンティティーの支えでもある神道が重んじてきた「和の心」。今一度、その素晴らしさを感じ、大切にしたいものだ。