作詞作曲し、自ら歌うが、演奏はしない。そういうスタイルの音楽家と聞いて思い浮かぶアーティストはいるだろうか? 自作自演は多くいるだろう。コンポーズと演奏はするけど滅多に歌わないという人もいる。けれど、「曲は作ったし歌も歌うけど楽器には一切さわらない」という存在は、意外にも現在のポップ・ミュージックのフィールドでは、ほとんど思い当たらない。
その新たなる領域で次のキャリアへとコマを進めようとしているアーティストが、小西康陽(こにしやすはる)だ。
小西康陽は1980年代から「ピチカート・ファイヴ」のメンバーとして活躍し、時代を切り開いてきた日本のポップ・ミュージック・シーンの重要人物だ。特に、ボーカルに野宮真貴を迎えた90年代の「ピチカート・ファイヴ」では、「渋谷系」という新感覚の音楽ジャンルの中枢で、自ら「頭脳」となりコンポーズ、アレンジのみならず、多くのユニークなアイデア、試みを実践してきた。10代の頃からのレコード・コレクターで、今も国内有数のクラブDJとして活躍する小西は、まさにDJがそうであるように過去の様々な音楽や映画からの影響を、自らの作品にオマージュのように引用。その鮮やかでしゃれたポップ・アート的手法は「レディメイド」(既製品)という自ら掲げるキーワードで表現されることも多い。
「ピチカート・ファイヴ」解散後も小西はプロデューサーとして、DJとして、コンポーザーとして活躍してきたが、2011年に「ピチカート・ワン」名義で、初のソロ・アルバム「11のとても悲しい歌」を発表。だが、15年にリリースされたセカンド「わたくしの二十世紀」までは、自らのワンマン・ライブでもゲスト・ボーカルを迎えたり、楽器演奏に専念したりとあくまで「裏方的ポジション」のまま中央に立ってきた。数曲で歌を披露することがあっても全曲は歌わない。その様子は、彼自身がフェイヴァリットに挙げるアメリカのベテラン作曲家、バート・バカラックのコンサートを観ているようでもあった。