作家の下重暁子さん
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※写真はイメージです (GettyImages)
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、高齢者差別について。

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 住まいの近くに仕事部屋を移そうとして、行きづまった。物件はあるのだが、貸してもらえないのである。理由は高齢者であること。確かにチラシを見ると、「高齢者要相談」と書いてある。

 今まで借りていた部屋は、貸主が私を知っていたのと、法人で借りることが条件で、気持ちよく借りられた。

 しかしこれも、私のところが法人になっているからできたこと、もし個人の場合は、無理だったろう。高齢者はそれまでの蓄えがあったり、現在も仕事をして収入があっても、いつ倒れるかわからないし、孤独死などされては迷惑だという恐れから、貸主がOKしない。何と住みにくい世の中か。

 私を始め、今は、八十代、九十代になっても元気に仕事をし、人生を楽しんでいる人も多いのだが、高齢ということのみでひとくくりにされて、住む場所を確保することもおぼつかない。

 世の中には、私の友人のように、自分の家を持つことを拒否し、一生借家で過ごしたいという主義の人もいるのだが、これでは、その人の生き方すら認められず、高齢になった場合、住む場所すらなくなってしまう。

 もちろん家族が一緒の場合はOKなのだろうから、高齢者が独りであることが問題なのだろう。

 しかし、現実は、ひとり暮らしの高齢者が増えていることも確か。しかも元気で楽しく仕事も生活もエンジョイしている。人生の晩年を好きなように生きている人たちの自由が奪われてはならない。

 おひとりさまの高齢者が在宅死をしたいと願うなら、まず、持ち家があることが条件になる。静かに一人ひっそりと息を引き取りたいと願ってもまわりが許さない。

 やれ孤独死だ、福祉の貧困だと騒ぎたて、そっとしておいてくれず、いくら介護の条件や他人に迷惑をかけない死を選ぼうとしてもうまくいかない。

 それでいて国は、在宅死をすすめている。それはあくまで家族がまわりにいて、面倒を見てくれる場合なのだろう。一人で自由に自分の家さえ借りられず、住むところを選ぶ権利すら高齢者には許されていないのだろうか。

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