人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「軽井沢 移ろいゆく季節」。
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着いた日の朝は、零下五度であった。
ゴールデンウィークをはさんで十日間ほど軽井沢の山荘に滞在した。北陸新幹線はガラガラだが、軽井沢駅に到着すると、若者のペアが目立った。
山桜が満開だ。こぶしもまだ残っている。海抜九百メートルの高原では、いっせいに花が開く。軽井沢銀座の人出を横目に見て、樅(もみ)や落葉松(からまつ)の丈高い小道に入ると、淡い紫色のつつじが咲いている。
駅前に軽自動車を預けてあるので、便利である。長野ナンバーなので肩身の狭い思いをすることもない。
聖パウロカトリック教会の前を通り過ぎ左へ折れしばらく行くと、品川ナンバーの車が坂を下りてきた。なだらかな道なのだが、どちらかが譲らなければ通れない。幸いすぐ横の山荘のチェーンが外れていて、そこへよけることが出来た。
かつては、どの家も門柱のチェーンを外しておいたものだ。お互いスムーズに移動するための軽井沢ルール。相手を思いやる優しさに満ちていた。
だが、そんな昔からの無言のルールを心得ている人々は減り、最近はチェーンのかかっている家が多くなった。
わが家の私道を入ると、大好きな山吹はまだ蕾で、そのかわりに三年前に植えた石楠花(しゃくなげ)がピンクの花を開いていた。初めて咲いたのだ。
地に這うようにすみれ、鈴蘭、ボケなど、小さな花々が咲いている。
落葉松は芽吹き、若々しい緑が爽やかだ。だが空気は冷たい。五月の声を聞いても深夜から早朝には零下になる日も珍しくない。それでいて晴れた日の直射日光は強く、二十度前後になる。
ヴェランダに移動し、お日様の暖かさに浸る。テレビもラジオも消して耳をすませる。梢を渡る風の音、ガラ類の連続する声に混じってキョッキョッと鳴くのが、アカゲラ、コゲラなどで、目をこらすと木の幹をつついている。地面を走っては立ち止まる真黒い小型の鳥は何だろう。初めて見る鳥だ。