
インタビュー中に、何度となく豪快な笑い声が響き渡った。まるで青年のようなフレッシュな佇まい。いい意味で、万年青年の雰囲気が漂う津田寛治さん。名バイプレーヤーとして活躍する俳優の原点とは──。
子どもの頃は、集団生活が苦手だった。人と同じことができなくて、教師からは、「できてないのは津田くんだけだよ」と毎日のように言われた。親も、「特殊学級(現・特別支援学級)に入れたほうがいい」と何度も勧められたらしい。
「たぶん、今だったら発達障害と診断されていたと思います。当時は本当に、日常生活がつらかった。ひとつの空間に集団で閉じ込められる感じが苦手で、同じ場所に通って、同じ日常を繰り返すことに息が詰まりそうになっていた。そんな中、映画館だけが僕にとって特別の場所で。映画を観ているときは、つらい現実を忘れられた。当時は、入れ替え制じゃなかったので、朝イチからずっと同じ映画を4~5回観続けて、最終の回まで観終わってから、パンフレットを買って帰る、みたいな(笑)」
自然と「将来は映画監督になりたい」という夢を抱く。が、親や親戚からは「お前みたいに勉強が嫌いな奴がなれるはずがない」と呆れられた。
「なら、監督じゃなくて俳優になろうと思って、役を演じている自分をイメージしたとき……なんていうのかな……フワッと、スクリーンの向こうに行ける感じがしたんです。ちょうどその頃観た『チャンス』という映画は、ワシントンを舞台に、知的障害のある庭師が大統領候補になる話で、映画の世界には、どこにチャンスが転がっているかわからないぞ、とワクワクしました」
洋画も多く観たが、邦画といえば当時は角川映画が全盛。俳優で、のちの津田さんの芝居に最も影響を与えたのは松田優作さんだった。
「当時は、なぜ自分がこんなに優作さんの芝居に惹かれるのか、その理由が全然わかってなくて。ただ好きだなと思ってたんですけど、後で考えると、それは“リアリティー”だったと思うんです。男なのに、『○○やってくれないかしら』なんて言い方をするんだけど、なんかそれがしっくりきて。『普段も言ってるのかな?』とか想像させる。漠然と、他の役者にない何かを感じてたんですよね」