小池真理子 (撮影/写真部・松永卓也)
小池真理子 (撮影/写真部・松永卓也)

小池:二人とも出かけるのが面倒くさいインドア派。彼は外食をあまり好まなかったし。私は毎日、夕方の6時にはパソコンを閉じて、誰かと電話をしていても切り上げて、キッチンに行ってごはんをつくってました。彼は6時40分になると、同じ敷地にある仕事場から帰ってくるんですね。判で押したように帰ってくるから、自分のことを「判で押した君」とか言っちゃって(笑)。

林:二人で巣の中にいて、仕事して、毎日一緒にごはんを食べて、毎日同じように過ごして、ずっとしゃべってしゃべって……。

小池:さすがに飽きてましたよ、それは(笑)。三十数年間ですよ。だけど、お互い「飽きたねえ」って隠さずに言い合えたんですね。「もう飽きた。生まれ変わったら別な人と生きたいよね」みたいなことを言いながら、夜になったら、「きょうは『刑事コロンボ』見て寝ようか」「そうしようそうしよう」となる。男女とか夫と妻を超えた、巣穴の中の動物同士みたいな感じでしたね。

林:「すべての財産を妻・真理子に贈る。『送る会』はするな」が、遺言だったんでしょう?

小池:彼は一人っ子で、私たちには子供がいなかったしね。「死んでまで人に顔をさらして気を使いたくない。お通夜、告別式もいらない。お別れ会は絶対するな」とずっと言ってました。そのほうが私もラクだろう、という気づかいもあったんでしょうね。

林:入籍したのはいつですか。

小池:彼が60歳になった年で、11年くらい前かな。事実婚だと、どっちかが病気になったり、死んだりしたときに手続きがすごく大変だと聞いてたので、60でちょうどきりがいいし、ということで。

林:夫婦で同時に直木賞の候補になって、小池さんが受賞して、藤田さんはとれなかったとき、「胸の奥に水色の淡い、哀しい煙のようなものがわきあがってきた」ってこの本に書いてあるけど、そのあと藤田さんが直木賞をとって、朝日新聞は1面トップで扱ってましたよね。

暮らしとモノ班 for promotion
台風シーズン目前、水害・地震など天災に備えよう!仮設・簡易トイレのおすすめ14選
次のページ