
ジャーナリストの田原総一朗氏は、ロシアのウクライナ侵攻の今後を懸念する。
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新聞もテレビも、目を向ければ飛び込んでくるのはウクライナの深刻な事態である。
ロシアがキエフを始め、ウクライナの主要都市に武力侵攻を進めている。米国を始め、反ロシアの世界の国々は、これを許すことができない暴挙だと捉えている。
プーチン大統領はなぜ、国際社会から暴挙だと決めつけられ、米国のバイデン大統領に「狂っている」とまで糾弾される強硬手段を取ってしまったのか。プーチンといえども、ロシア国民に選挙で選ばれた大統領である。そして、国民の支持を失うことを何よりも恐れているはずである。
実は、私がテレビ東京のディレクターであった1965年に、世界ドキュメンタリー会議なるものがモスクワで開催されることになり、私が日本の代表として、モスクワの会議に参加することになった。ドキュメンタリー会議のことをここで記すゆとりはないが、そのとき、主催者からソ連の地方都市として紹介されて訪問したのがキエフであった。
キエフは、現在はウクライナの首都だが、当時ウクライナはソ連領だったのだ。そのウクライナが独立して、ゼレンスキー大統領の下で、将来的にNATOに加盟を目指すと憲法に明記している。
実は、ウクライナだけでなく、かつてソ連領であったバルト3国は、ソ連解体後にEUに加盟しているのである。
プーチン氏にしてみれば、こうして失った旧ソ連領を取り戻したいのだろうし、何よりもウクライナのNATO加盟は何としても認めるわけにはいかず、ウクライナのゼレンスキー政権を打ち倒して、親ロシア政権に変えたいと考えているのであろう。
そして、実はプーチン氏がウクライナに軍事介入する以前、ゼレンスキー氏の支持率は30%を割っていたのである。ゼレンスキー氏の下での政界の腐敗に、国民の多くが反発を覚えていたわけだ。
だからプーチン氏としては、軍事介入をすれば国民の反ゼレンスキー感情が高まって、割と簡単に親ロシア政権に変えられるのではないか、と考えていたのだが、軍事介入の結果、ゼレンスキー氏の支持率は91%にまで跳ね上がってしまったのである。