「悲惨でした」
森田さんは何度も口にした。
翌日、自宅近くまでたどり着くと、防空壕の横穴に避難していた妹が半狂乱で抱きついてきた。
「みんな死んだー。みんな死んだー」
妹は泣き叫んだ。
自宅跡に行くと、門柱に黒焦げの父がもたれかかっていた。居間のあたりには、真っ黒な小さな塊になった2番目の弟。廊下付近では、母が一番下の弟を抱きかかえるようにして亡くなっていた。
「残った衣服の切れ端から、誰かがわかりました」
川遊びしていた一番上の弟は見つからなかった。
森田さんは空き地にトタンを敷き、両親と弟たちの体を寄り添うように並べ、荼毘(だび)に付した。手がドロリとした真っ黒な血で染まっていた。
「手は洗われないと思いました。自分の身にしっかりと残しておこうと、何度もこすり、手のひらにすりこみました」
それから76年。森田さんは妹とともに叔父夫婦の家で暮らし、20代で結婚。4人の子どもを育てながら、衣料品と化粧品を扱う店を夫と営んだ。
「戦後は平和に暮らすことができました。叔父夫婦と夫に大事にしてもらって」
広島での被爆経験を持つ夫、戦後を共に生き抜いた妹、英語が得意だった長男は、みんな50代で先に逝った。森田さんも肺がんと脳梗塞を患った。それでも、「今は幸せ」と柔らかに話す。
「これからは好きな場所で好きに暮らす」と子どもたちにきっぱりと宣言したのは、78歳のとき。東京の長女と暮らすため、長崎から持っていったのは、小さなボストンバッグ一つだった。
そして、90歳になったとき、「私も言いたいことがある。政治に不満がある」と「わたくし90歳(現わたくし92歳NoWar戦争反対、@Iam90yearsold)」のアカウント名でツイッターを始めた。
原爆を軽く扱った安倍元首相へのツイートは、多数の共感を呼び、フォロワー数が一気に1万も増えた。最近、“バズった”のは、ウクライナ侵攻の反対デモに参加した女性のつぶやきに反応して書いたツイートだ。