ロシア軍がウクライナに侵攻して4カ月が経った。首都キーウや周辺の激戦地の様子をフォトジャーナリスト・佐藤慧が報告する。AERA 2022年7月4日号の記事を紹介する。
【写真】家族の家計を支えるためにハンガリーへと出稼ぎに来ている21歳のアナスタシアさん
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5月中旬、ウクライナの首都キーウの街中を闊歩(かっぽ)する人々の姿からは、とても戦時中の国だとは感じられなかった。石畳の街で買い物を楽しむ親子、緑豊かな公園で犬と散歩する老夫婦、高台でドニプロ川を眺めるカップルたち。時々不気味に鳴り響くサイレンは空襲警報だが、あまりにも頻繁に繰り返されるので、多くの人は気にも留めない。けれど、所々に設置されたバリケードや土嚢(どのう)、銃を下げた兵士たちを見ると、やはり「戦時下」なのだと思い知らされる。
観光名所のひとつでもある聖ミハイル黄金ドーム修道院の壁には、2014年以降、ウクライナ東部で犠牲になった兵士たちの顔写真が並んでおり、今回の侵攻が突発的・一時的なものではなく、常に続いてきた緊張状態の延長線上にあるものだということが見て取れる。
■住宅のほとんどに砲弾
そんな日常と戦時下が交錯する市内から、北西20キロほどのところにある街、イルピンは、ロシア軍のキーウ侵攻に歯止めをかけるために、激しい戦禍に晒された地のひとつだ。戦闘が激しくなるにつれ、数万人の市民が避難を余儀なくされた。
多くの住宅が立ち並ぶ地区に差し掛かると、目につく住宅のほとんどに砲弾の直撃した跡が残っている。地元住民のアレクシーさんは、瓦礫に埋もれた部屋を片づけながらこう語る。
「いつかこうしたことが起きるとは思っていたが、まさかこれほどまでに市民を標的とした攻撃が起こるとは予想していなかった」
イルピンから数キロ離れたブチャでは、400人以上の市民が殺害されたと見られており、調査が続いている。地元住民であり医師のジェーニャさんは、侵攻中も現地にとどまり、支援の届かない地で人々を支え続けてきた。声を震わせながらこう語る。