さくらい・あんり/1988年、京都市生まれ。日阪製作所所属。20歳で受けた椎間板ヘルニアの手術後、車いす生活になる。サーフィンやスキーに挑戦した後、25歳で車いすフェンシングを開始。半年でナショナルチーム入り。2018年9月から日本人コーチ山本憲一氏のいるロンドンのフェンシングクラブへ。昨年度全日本選手権大会はフルーレ2位、エペ3位。カテゴリーは重いほうのB(写真/伊ケ崎忍)
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さくらい・あんり/1988年、京都市生まれ。日阪製作所所属。20歳で受けた椎間板ヘルニアの手術後、車いす生活になる。サーフィンやスキーに挑戦した後、25歳で車いすフェンシングを開始。半年でナショナルチーム入り。2018年9月から日本人コーチ山本憲一氏のいるロンドンのフェンシングクラブへ。昨年度全日本選手権大会はフルーレ2位、エペ3位。カテゴリーは重いほうのB(写真/伊ケ崎忍)
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 東京パラリンピックは8月26日、フェンシングの女子エペ個人(B)に櫻井杏里(32)が出場する。AERA2019年7月15日号のインタビューを紹介する(肩書、年齢は当時)。

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 小さなエース櫻井杏理の武器はカウンター攻撃だ。170センチ以上の長身や俊敏な世界のトップたちに対抗するため、脳内をフル回転させる。

「同時に剣を出しても勝てない。いかに相手を前に出させて、それを切り返すかの駆け引きが勝負なんです」

 車いすのアームレストをつかんで体を支え、攻撃時には目いっぱい前へ、防御時はのけぞるなどし、上半身を激しく動かす。足で移動しないから、「突く、斬る」の攻撃も、「たたく、払う」の防御でも、剣さばきの巧みさが鍵だ。そのため、「こうきたら、こう突く」といった一瞬の切り返し動作を何十パターンと考えている。

「野球のカーブと直球のような緩急のある突き方をしなければ。それには経験を積むしかない」

 昨年末のW杯女子個人フルーレで日本勢唯一の銅メダル。英ロンドンに拠点を移した成果が表れ始めた。

 自らの強みを「ストイックさ」と表現するほど練習の虫。高校駅伝の選手だったころから「距離は裏切らない」が合言葉だった。だが今は練習しすぎると、英国の理学療法士から「いい加減にして!」とコーチとともに叱られる。おかげで練習の質が上がり、やりすぎによる故障を回避できるようになった。

 世界一流のスタッフと歩を進める櫻井は「フェンシングはマイナー。W杯でメダルをとってもメディアで報じられなくて残念だったけど、プレッシャーを感じなくて済むかも」と笑う。

 メディアへの逆襲(カウンター)、期待しています。

(ライター・島沢優子)

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■車いすフェンシング

 一般のフェンシングと同じ剣や防具を使い、競技規則もほぼ同じ。車いすを固定した状態で行うため相手との距離が近く、選手も観戦する側も気が抜けない。胴体のみを突く「フルーレ」、上半身を突く「エペ」、上半身を突き、斬る「サーブル」の3種目。障害の程度によって、ABの2カテゴリーに分けられる

※AERA2019年7月15日号に掲載