反対派の運動員は比較的高齢者が多く地味な活動を続けた(撮影/今井一)

 一方、反対派の参謀、理論的支柱として戦ってきた自民党大阪市会議員団副幹事長の川嶋広稔は、松井市長退任後の市長選挙への準備に取りかかるべきだと考えている。

「われわれ自民党は懸命に頑張りましたが、勝てたのは住民のみなさんのお陰。どれだけたくさんの方が草の根で運動に関わってくださったか。今回、無党派層での反対票が多かったのは、同じ無党派の人たちが呼び掛けてくれたから。ほんまに感謝しています」

 住民投票の期間中、反対派議員の顔として、松井市長とのテレビ討論を10回ほどこなした自民党市議団の北野妙子幹事長。顔と名前を売った彼女を市長候補として推す声が、反対派市民のなかからもあがっているが、川嶋は「市民の思いをくみとりつつ、幅広い選択肢のなかから検討したい」と話す。

■選挙と住民投票で「逆」

 政治に強い関心がある人でさえ、大阪での政治勢力図を正確に理解している(他府県の)人はわずかだろう。定数83議席の大阪市会に、立憲の議員、維新の議員が何人いるかというと、立憲はゼロで維新は40。「立憲なんて眼中にない」という先の今井のセリフは、この現実による。そして、今回の2度目の住民投票は、維新・公明(計58議席)が賛成派、自民・共産ほか(計25議席)が反対派という議会での力関係を基に争われた。

松井一郎大阪市長(左)と吉村洋文大阪府知事(撮影/今井一)

 多数の大阪市民は、市長選でも府・市議選でも国政選挙でも「都構想推進」の大看板を掲げている維新候補に一票を投じ、彼らを圧勝させている。にもかかわらず、住民投票では反対多数となった。「なんで?」と不思議がる人が多いが、選挙で示される意思と住民投票で示される意思が違ったり逆になったりするのはよくあることだ。

 議会で6~7割の議席を占めている側が住民投票で負けた事例をいくつか紹介しよう(すべて条例に基づく住民投票で、自治体名は実施当時のもの)。

●新潟県巻町「東北電力による原発建設」(1996年)
●沖縄県名護市「辺野古での米軍ヘリ基地建設」(97年)
●徳島市「吉野川可動堰の建設」(2000年)
●三重県海山町「中部電力の原発誘致」(01年)
●山口県岩国市「米軍艦載機の岩国基地への移転」(06年)
●千葉県四街道市「地域交流センターの建設」(07年)
●長野県佐久市「総合文化会館の建設」(10年)
●埼玉県北本市「JR高崎線の新駅建設」(13年)

 選挙というのは、自分に代わって事柄を決める人を選ぶもの。住民投票・国民投票は、自分自身が直接事柄を決めるもの。

 両者は本質的に異なる制度であり、選挙では強さを誇る維新でさえ、住民投票という難関を突破することはできなかった。


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