『砂の器』は視点や設定を変えて、何度も映画化、ドラマ化されている。私が印象的に覚えているのは2004年のTBSドラマで、和賀英良を演じたのは元SMAPの中居正広クンだった。

『砂の器』は二つの筋を撚り合わせる形で構成されている。ひとつは蒲田駅の操車場で発見された惨殺死体を起点に、犯人の手がかりを求めて全国を駆け回る今西刑事の物語。もうひとつはヌーボー・グループという小生意気な若手芸術家サロンの物語だ。

 ヌーボー・グループに属する作曲家の和賀英良は大臣の娘の彫刻家と婚約するわ、前衛的な電子音楽に挑戦するわ、飛ぶ鳥落とす勢いだ。愛想よくすりよってきた歌手を<おれの芸術がわかるはずがない>と退ける和賀はなかなかにヤなやつである。売り出し中の評論家・関川重雄もそれに輪をかけてヤなやつで、<和賀は出世主義者だ>と批判するくせに、愛人のアパートで顔を見られたくらいでカッとなる小心者である。

 今西刑事はこの二人に目を付けて身辺を洗いはじめるのだが、注意すべきは二人の少年時代が大きな謎に包まれていることだ。不幸な幼少時代を送り、戸籍の捏造までした和賀はもちろん、秋田から東京に養子に行った関川も大きなコンプレックスを抱えているように思われる。だがスカした青年たちの過去は伝聞情報と今西の推理で語られるだけで、内実は謎。犯罪の隠蔽に手を貸した末に自殺したらしい「紙吹雪の女」こと成瀬リエ子の内面も謎。映像化が何度も試みられるのは原作に空白の部分が多いためかもしれない。

<あの批評はほめているのかな、けなしているのかな>とは和賀の婚約者の父が、和賀の音楽に対する関川の批評を読んで漏らした感想。核心を突く一撃。これには笑った。けなしてるんだけどね本当は。ところが関川は後に和賀の音楽を露骨にほめた批評を書くのだ。些細な批評の差にひそむ事件の鍵。東京と地方の格差を感じさせる作品。成り上がろうとあがいた戦後の青年たちと、そんな男を愛した女たちの失敗の物語だ。

週刊朝日  2020年5月29日号

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