朝井まかての『雲上雲下』は、昔話を語り継ぐ困難と可能性についてじっくりと物語る、稀有な作品だ。
舞台はどこかの深い山中。たっぷり葉の茂った「草どん」と呼ばれる草があり、子狐や山姥から求められて昔話を語りだす。団子地蔵、粒や、亀の身上がり、猫寺……どれもがどこかで聴いたり読んだりした説話に似ているのだが、そんなことが気にならないほど草どんの語りはテンポよく、描写の力で湿気や匂いすら漂わせながら、読む者を子狐や山姥と同じく豊かな過去へと引きこんでいく。
草どんの見事な語りに惚れぼれしていると、彼らの前に小太郎が現れる。昔話に出てくる小太郎が、その内容どおり母を捜す少年として登場し、物語は歪みはじめる。最終章にいたっては、これまで語られた話の主役脇役──赤鬼青鬼、地蔵、田螺、忠義の亀、袈裟をつけた猫たちばかりか、浦島太郎、桃太郎、金太郎、花咲か爺さん、雪女らまで現れ、草どんに一緒に逃げようとうながしてくる。
〈おらたちの話を、もう誰も聞きたがらない、忘れられてゆくばかりなんだ〉
子狐らの訴えは悲痛だ。人はなぜ損得にこだわって奪い、殺し、戦を止めないのか、たとえ答えは出ずとも問いつづけてきた物語を無為と見なす社会が今、彼らを窮地へと追いこんでいるのだ。物語は、見えない雲上の世界と雲下に暮らす私たちとをつなぎ、少しでもまっとうに生きるための指針となってきたのに。
よく語るにはよく聴くことが不可欠と、草どんは最後に思いだす。それは、私たちが物語を喪わないための教訓でもある。
※週刊朝日 2018年6月22日号