講談後に楽屋に戻って語り合う木戸季市さん(左)と、講談師の神田香織さん(撮影:木村元彦)
講談後に楽屋に戻って語り合う木戸季市さん(左)と、講談師の神田香織さん(撮影:木村元彦)
この記事の写真をすべて見る

 昨年ノーベル平和賞を受賞した被団協の前事務局長、木戸季市さんが初めて「はだしのゲン」の講談を鑑賞した。その語りに何を思ったか──。AERA 2025年8月25日号より。

【写真】「これからも『はだしのゲン』を語り続ける」と話す講談師・神田香織さん

*  *  *

「私はね、広沢虎造を末広亭で見たことがあるのが自慢なんですよ」

 昨年、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局長としてノーベル平和賞の授賞式にオスロに招かれた木戸季市さんは、1964年に没した伝説の浪曲師の名前を挙げ、いかに自分が若い頃から一人話芸が好きであるかを嬉しそうに語った。「だから今日は楽しみに来ました」

見事に人間を描いた芸

 7月30日、岐阜県職員組合(内記淳司委員長)が、戦後80年に平和を考える企画として、講談師神田香織さんによる「はだしのゲン」の講談会を主催した。岐阜市在住の木戸さんは招かれて、急遽アフタートークに登壇し、ゲンの講談の感想を「お説教にならず、見事に人間を描いた芸で感動した」と語った。

 作者・中沢啓治の被爆実体験をもとに描かれた漫画「はだしのゲン」は24の言語で翻訳出版され、世界中で核使用のむごさ、愚かさを訴えている。しかし、発信元の日本では2023年2月に広島市教育委員会が、平和教育教材から合理的な理由も無いままに削除してしまった。木戸さんは、広島市教委に抗議の文書を書き送っている。

 神田さんは、原作を講談にするにあたり、被爆の実相は悲劇であるからこそ、漫画が持っているユーモアを損なわないように気をつけて構成したという。

「ゲンたち子どもは何でも替え歌にして笑い飛ばす。そのたくましさは希望を語る上でも大切だと思うのです」

 その言葉を聞き、木戸さんはこううなずいた。

「そう、あの元気だったゲンの弟の進次は私と同い年、当時5歳です。だから彼が家屋に挟まれて生きながら焼け死んでいったその語りを分身として聞いていました」

次のページ 起きるとあの日が蘇る