
批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。





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8月6日で広島に原爆が投下されて80年となった。
記憶の風化は深刻だが、日本被団協が昨年ノーベル平和賞を受賞するなど、広島・長崎への注目度は年々上がっている。今年の式典には過去最多となる120の国と地域が参加した。パレスチナやイランの大使の姿もあった。
現在は定着した平和記念式典だが、歴史を辿ると複雑な経緯がある。当初は「復興祭」と呼ばれ、市民を鼓舞する祭りの要素が強かった。占領下では原爆批判はタブーでもあった。
独立を回復した1952年に現在の形式が定まり、1954年に会場となる平和記念公園が完成した。しかしその後も多数のバラックが立ち並び、現在のように原爆ドームが望めるようになったのは1959年のことだ。そのドームの保存が正式に決まったのは1966年で、首相の列席が始まったのはようやく1971年だという。広島・長崎の経験を国家のアイデンティティとするには、かなりの時間がかかったのだ。
先日、筆者も記念公園を訪れた。公園の中心は原爆ドームと慰霊碑と平和記念資料館をまっすぐ結ぶ軸線だが、時間をかけて廻ると他にも多数の記念碑があることに気がつく。そのなかに、今年の式典で石破首相が引用した正田篠枝氏の短歌が刻まれた「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」もある。
それら記念碑の建立者は必ずしも革新系の市民団体だけではない。保守系の組織もあれば企業、学校、宗教団体もある。韓国人犠牲者の慰霊碑もある。平和への願いは思想信条の差異を超えている。
公園中心の慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。過ちの主体を曖昧にし、戦争犯罪の責任をごまかしているとの批判がある。筆者も以前はそう考えていた。けれども最近はむしろその「ごまかし」こそが平和の本質ではないかと考えるようになった。思想信条の差異を一時でも忘れないと平和は祈れない。
世界は争いに満ちている。政治は分断を深めるばかりだ。そんな時代において、広島の役割はかつてなく大きくなりつつあると思う。
※AERA 2025年8月25日号
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