麻央さんのお墓参りを続ける村尾さん/村尾信尚(むらお・のぶたか)1955年岐阜県生まれ。一橋大学経済学部卒業後、大蔵省(現・財務省)入省。主計局主計官、理財局国債課長などを経て2002年退官。2003年関西学院大学教授に就任。06年10月から18年9月まで「NEWSZERO」のメインキャスターを務めた

 そして、壮絶な闘病をしていた麻央さんの気丈さを思い出す。

「麻央さんが闘病しているときに何回かメールでやりとりしましたが、いつもポジティブでしたね。メールの最後は『これからも頑張ります』という言葉で締めくくられていた。70歳を控え、だんだん死に向き合っていくステージにいる自分でも覚悟がいることなのに、それを麻央さんは30代にして、あんなに気丈に振る舞った。『頑張ります』と締めくくるメールのやりとりができる気力の強さは本当にすごい」

麻央さんはいつも動じない

 麻央さんを仲介として集まったメンバーだから、当然、麻央さんの思い出話に花が咲く。

「いつも麻央さんの思い出話で出てくるのは、生放送だから放送直前までドタバタすることもあるんだけど、彼女のもともとの性格もあるのだろうけど、いつも平然としているように見える。物事に動じなくて、スタジオでそつなく仕事をこなす印象をみんな持っていて、今回もそういう話をしていましたね」

「僕が麻央さんについて思うのは、ニュース番組だから政治や経済、事件など様々な問題を扱うけど、全てに真摯に取り組んでいた。不得意分野があるだろうけれども『ちょっと、それはわかりません』みたいなのはなくて。麻央さんなりに、自分の言葉でどういう表現ができるのかを、模索していましたね」

 思い出すのは、麻央さんがZEROファミリーの中で年長の村尾さんの話をしっかり聞いてくれたことだという。

「午後11時からの生放送でしたが、毎日午後4時から会議をしていました。通称“四時会議”では、僕がメインキャスターとして1~2時間くらいいろいろと話し、スタッフと議論する。もちろん麻央さんも四時会議に参加して、わからないことがあれば僕に質問してくれました。いまから思うと、それまでの仕事とは異なるニュース番組の現場に、しかもあんなにお若いのに嫌な顔ひとつせずに、よくついてきてくれていたなと。振り返ると、とても立派な方だったと思います」

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