「いみじうきたなきもの なめくぢ。えせ板敷(いたじき)の帚(はわき)の末。殿上の合子(ごうし)。」(枕草子・248段)と清少納言に忌み嫌われて以来、かわいらしいイラストにされるアイドル的なカタツムリとは殻をつけてるかつけてないかの違いなのに、不快害虫の上位ランカーとして気味悪がられ不憫な扱いを受けているナメクジ。梅雨時に見かけるイメージですが、実は一年中私たちの身近で暮らしています。そして、晩秋は意外なことに、ナメクジの繁殖期なのです。
この記事の写真をすべて見る頬ずりをして繁殖!? 奇想天外なナメクジの「交尾」
ナメクジ(蛞蝓/かつゆ)は、陸に生息する巻貝のうち、殻が退化している種(軟体動物門・腹足綱有肺亜綱)の総称にも使われ、またウミウシなどの水生の貝類で貝殻を退化させることを「ナメクジ化」とも呼びますが、ナメクジ科(Meghimatium)とコウラナメクジ科(Lehmannia)に属する種をまとめて「ナメクジ」と呼ぶのが私たちが一般的に認識している意味でのナメクジになります。カタツムリとはごく近縁で、単純に言えば殻をつけているのがカタツムリ、退化させて身軽になったものがナメクジです。
ちなみになぜ身を守るためのシェルターである殻を退化されるのかといえば、貝殻を形成し維持するためには、その分食物を多く摂取せねばならないこと、重い殻を背負って移動するエネルギー消費が生存に不利になるためで、このように殻を退化させた陸生のナメクジ類が現れたのは二億年以上も前。長い時代を生き抜いてきた生物です。
食性は特に腐った葉やキノコを好みますが何でも食べる雑食で、虫や動物の死骸も好物。何か人間の食べ残しなどが落ちていると、ほどなく彼らが群がりますよね。口の中にはボール状の舌があり、その舌の表面に二万七千もの細かな歯が生えていて、なめて削り取るようにして食物を摂取します。呼吸は外套膜(背面を覆う粘膜)で空気呼吸をし、目はあまりよくなく光を感じる程度ですが、前方の髭のような触角でにおいを敏感に嗅ぎ取って行動しています。
また、ナメクジは雄と雌両方の生殖器官を持つ雌雄同体の生き物で、自家生殖(単性生殖)も可能ですが、その場合産卵数が少なくなるために別の個体と交尾をします。その際には顔のすぐ側面の、人間で言えば首か頬のあたりにある生殖器から生殖管を長く伸ばし、互いに絡み合い頬ずりでもするようにして双方相手に精子を注入し受精します。なんとも奇想天外でちょっとグロテスク。卵は落ち葉の下や石の下などに卵塊の状態でビーズのような乳白色の卵を一度に40~60粒ほど(年間では300個ほど)産み付けますが、卵は意外なことに高温が弱点。そのため夏の時期を避けて気温の低くなった晩秋から冬、春先までが繁殖時期。ナメクジは初夏から夏の高温・長日条件下では性成熟が抑制され、気温が低下し、日足が短くなる秋に性成熟を促進する反応を形成しているため、まさに晩秋はナメクジたちには恋の季節なのです。
晩秋に生れた赤ちゃんナメクジは、厳冬期を迎えるとそのまま暖かい朽葉の下や建物の隙間などで越冬して、春になると活発に活動するようになり、私たちの目にふれる機会が増えるのです。
昔見たナメクジと最近のナメクジってどこかちがう……静かに交代していたナメクジ界の勢力図
ところで筆者はあるとき植え込みの陰などで群がっているナメクジを見ていて、あれっ、何か昔見てたのと違う、と気がつきました。幼少時代によく見かけていた昔のナメクジは体をのばして這う姿がもっとすらっとしていて、色もねずみ色に近かった記憶があるのですが、最近見かけるナメクジは背中にこぶのような盛り上がりがあり、ちょっとずんぐりしている。色もねずみ色よりも茶褐色が強い気がしたのです。こんなこぶみたいなのあったかなあ?とこぶを触ってみるとちょっと硬い。そのこぶのように見える部分が爪かセロテープのような薄くて透明な甲羅状になっていて、そのため盛り上がって見えたのです。ナメクジってこんなだったかなあと調べてみると、何と戦後1950年代くらいに、アメリカの占領軍の荷などとともに、外来種でヨーロッパのイベリア半島原産と推定されるチャコウラナメクジ(茶甲羅蛞蝓Lehmannia valentiana)が入ってきて徐々に生息域を広げ、日本の代表的な在来種であるフタスジナメクジ(Meghimatium bilineatum )は徐々に生息域や数を減らし、チャコウラナメクジに取って代わられつつあるんだとか。多湿な日本の風土に適応してきたフタスジナメクジですが、近年田んぼが減り都市化が進み、以前よりも乾燥化してきているため、より乾燥した環境で育ったチャコウラナメクジに有利になりつつあるためのようです。チャコウラナメクジの勢力拡大は、明治時代のやってきて繁殖していた同じ外来種の先輩格キイロコウラナメクジ(Limax flavus Linnaeus・体色が黄色いわけではなく、甲羅の中側に黄色の内臓が透けて見えるため)を駆逐し、国内からほぼ絶滅させてしまったようです。
ナメクジの世界にもやはり勢力争いがあるんですね。
そして近年、また新たに新顔の外来種が日本列島で繁殖をはじめていると噂されています。その名もマダラコウラナメクジ。最大で20センチにもなるといわれる大型のナメクジで、全身に黒いマダラの豹紋があるグロテスクな外形をしています。2006年に茨城県ではじめて発見され、それ以降福島、長野、北海道など距離の離れた4道県で確認されたため、生息域が全国に拡大しつつあると推測されています。京都大学理学研究科助教の宇高寛子氏は「ナメクジ捜査網」なるプロジェクトを発足。外来種生物が日本に適応していくプロセスをリアルタイムで観察する貴重なチャンスとして、「ヒョウ柄で大きいナメクジを見つけたら一報を」と呼び掛けているそうです。さがしてみてはいかがでしょう。
(巨大ナメクジ目撃情報、ツイッターで募る 京大助教が「捜査網」京都新聞 )
ただし、ナメクジにはこの種に限らず朽ち葉や野菜などを食べた際に広東住血線虫の中間宿主となっている場合があります。触れた場合にはよく手洗いをしましょう。
実は案外愛されてるかも? 文学や漫画、じゃんけんまで・なぜかナメクジはメジャーです
近年では特に身近に数多く見かけるためもあって嫌われ度が高いナメクジですが、歴史的に見ると日本人はナメクジに親しみや面白みを感じていたようです。
中国の秦代(または周代)の関尹子(かんいんし)には、「蛆食蛇。蛇食蛙。蛙食蛆。互相食也。(ムカデは蛇を食べ蛇は蛙を食べ蛙はムカデを食べる。互いに食い合う)」という有名な「三竦み」の記述が見られますが、この三竦みの関係はなぜか日本ではムカデがナメクジ(蛞蝓)に取って代わります。
そして江戸時代までのジャンケンの一種には「虫拳」と呼ばれるルールがあり、人さし指一本立てるのがヘビでカエルに勝ち、親指一本を出す(サムアップですね)とカエルでナメクジに勝ち、小指一本を出すとナメクジでヘビに勝つ、というものです。この三竦みの関係は、江戸時代末期の天保期から明治初期に書きつがれた娯楽小説「児雷也豪傑譚(じらいやごうけつものがたり)」で、蝦蟇の妖術使い義賊・児雷也と、その宿敵の蛇使い大蛇丸(おろちまる)、児雷也の妻のナメクジ使い・綱手(つなで)姫の三竦みの戦いに援用されて読者を熱狂させました。児雷也・大蛇丸・綱手は、後に少年ジャンプでロングヒットとなる漫画「NARUTO」で主要キャラクターとして転用され、世界中の人々にも知られることになりました。漫画の中では綱手とともに眷属の大ナメクジ「カツユ」も大活躍します。同じ少年ジャンプでは、あの誰もが知る「ドラゴンボール」でナメクジをモデルにした宇宙人「ナメック星人」か登場しますし、手塚治虫の代表作「火の鳥」の「未来編」では、人類の滅びたあとに知能を持ったナメクジが大繁栄するエピソードが語られます。
また、岐阜県中津川市加子母(かしも)の小郷(おご)地方では、旧暦の7月9日に、文覚上人(もんがくしょうにん)の墓石にナメクジが這い上がり、村民が供養に勤める「小郷の九万九千日」が古くから行なわれていました。近年「なめくじ祭り」として、観光客の集まる奇祭として有名になっています。
東京の港区芝公園の宝珠院には、境内のどこかに三竦みの蛇、蛙、ナメクジの石像があって、平和祈念のパワースポットといわれています。嫌われていると言いながら、日本人はナメクジのスローで静かな生態に、さまざまな争いごとの緩衝となる力を感じていたのかもしれませんね。気持ち悪がるばかりではなく、見かけたら少し興味を持って観察してみると、案外けっこう愛らしい生き物だと感じられるかもしれませんね。