もう一つ、別世界を知った。イタリアのフィレンツェから留学していたビオラ奏者に連れられて、冬休みにフィレンツェを訪ねた。美術館でレオナルド=ダ=ヴィンチやミケランジェロの作品を楽しんでいるうちに、巨匠たちは美術だけでなく建築や土木、哲学や詩などへ活動領域を広げ、一つの世界に閉じ籠もっていなかったことを知る。
「人生は、一つのことに打ち込み続ける道だけではない」と告げられたようで、「やってみたければ、素直にやる」という流れが、一気に勢いを増す。
そう言えば、ラジオづくりは中学校の柔道部で地域大会の優勝を目指すなかで、楽しんだ。ルネサンスの巨匠とは比べようもない小さな例だが、一つの世界に閉じ籠もらない道は、あのときに始まっていた。
夜まで実験の日々が落語やテニスに一変スポーツ施設開業へ
2年間の留学から帰国し、浦和市(現・さいたま市)にあった大日本インキの研究所で深夜まで実験を重ね、隣接する寮で寝るだけの日々から抜け出すのに、長くは要らない。勉強会を始め、転勤先の千葉県市原市の工場で社内外の研究者と公害問題を考える研究会をつくり、さらに落語同好会を結成。自らの高座名を「遊び亭一生」とし、テニスクラブや「エコール・ド・ルネサンス」(ルネサンスの学校)と命名したカルチャーセンターへ、仲間を集めていく。
次に、会社へ提出したテニススクールの企画書が通り、79年10月、千葉市花見川区でテニススクール幕張を開業した。『源流Again』で11月半ば、ここも訪ねた。増改築してスイミングプール、トレーニングルーム、テニスコートが揃ったルネサンスのスポーツ施設の原型ができたところで、シニア向けに改修も進めた。
水泳で、五輪級の選手も送り出した。トレーニングルームには、中高年の男女が集う。テニスコートは、多くのグループの社交場になっている。幕張の後も、会社の遊休施設などを引き取り、スポーツ施設を増やしてきた。『源流』からの流れは、いく先々で、流域に多くの人を集めている。競争相手の経営権も受け継ぎ、来年は国内のスポーツ施設で売上高首位になる。
自らも、花見川区のルネサンス鷹之台で、テニスを続けている。「やりたいこと」は、何歳になってもある。それを、『源流』からの流れに乗って「素直にやる」のに大切なのは、健康の維持と変わらぬ好奇心。それには、自信がある。(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2024年12月16日号