高野寛さん。1964 年生まれ。1988 年に高橋幸宏プロデュースによるアルバム『hullo hulloa』でソロデビューをした(撮影/小財 美香子)

 もちろんコロナの影響もあります。何かやっていないと落ち着かなかったし、打ち込みを使った曲作りをずっと続けていたので」

 ライブやイベントが軒並み中止になり、有り余った時間を制作に充てたことで高野は、図らずも自らの原点である“宅録”に立ち戻った。それが今回の新作につながったというわけだ。ただ、アルバムを完成させるまでには様々な逡巡があったという。言うまでもなく、2023年に高橋幸宏、坂本龍一が逝去したことも、高野にとっては途轍もなく大きな出来事だった。

「サウンドに関しては“掴めた”という感覚があったのですが、アルバムを成立させるためのピースが揃わなかったんですよね。どうしようかなと考えている最中に、幸宏さんと坂本さんが亡くなられて。そのことでYMOへの想いがさらに強まり、いくつか曲を書き足しました。曲のことを解説するのは好きではないですが、『青い鳥飛んだ』は明らかに幸宏さんに捧げています」

 また、コロナ禍で経験したことを反映した曲も。

「『Isolation』という曲は、コロナ禍で経験したことがもとになっています。あの時期には友人、知人が何人も入院したし、なかには重篤な症状の方もいた。もちろん面会もできなかったし、ひとりで考える時間も多かったんですよね。あの数年間で感じたこと、見てきた光景が出ているアルバムでもあると思います」

「15歳の春にYMOを聴いて、頭をガツンと殴られるような衝撃を受けた。それが音楽にのめり込む分岐点でした」と語る高野寛さん(撮影/小財 美香子)

高橋幸宏さんにみた、ミニマリズムの美学

 サウンドやフレーズを含め、いたるところにYMOからの影響が色濃く感じられる本作。「15歳の春にYMOを聴いて、頭をガツンと殴られるような衝撃を受けた。それが音楽にのめり込む分岐点でした」という高野自身にとっても、自らのルーツを改めて認識する作品になったようだ。

「アルバムを作っている最中はそんなに強く意識していたつもりはなかったんですが、自然と出てきたんだと思います。たとえばシンセの音作りにしても、子供の頃に聴いてたアナログシンセの音を心地よく感じたり。ドラムパターンも間違いなく幸宏さんに影響されています。1stアルバム(『hullo hulloa』/1988年)の制作のとき、僕が作ったデモ音源を幸宏さんがブラッシュアップしていく過程をずっと見ていて。少ない音数であっても、組み合わせを変えることでいくつものバリエーションを出せることを知りました。幸宏さんのミニマリズムの美学を間近で見させていただいたことは今も強く印象に残っています」

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