姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 ウクライナやパレスチナでの惨事が続く中で、「平和の祭典」であるパリの夏季オリンピックが開幕しました。直前の国鉄への攻撃による大規模な混乱は、パリ五輪への不安の影を投じています。それを吹き飛ばすための開会式のセレモニーに関心が集まらざるをえません。同時に開会式のあり方は、開催国の狙いがどこにあるのか、それをはかる格好の素材を提供してくれるはずです。

 そこで、まず驚いたのは、開会式ではセリーヌ・ディオンとレディー・ガガという歌姫たちの共演によって盛り上がりが図られたことです。本国の出身者ではなく、フランス植民地であったケベック州から生まれたセリーヌ・ディオンを起用するあたりに、昔日の栄光を現在に送り込みたいフランス帝国主義の真意が見えてきます。意外だったのは、レディー・ガガという米国の歌手を登場させた点です。アメリカ的なものにどちらかというと冷たい視線を送りがちなフランスなのに、あえてUSAシンガーを本舞台に送り込んだのは何故でしょうか。

 2人の共通点はヨーロッパから北米に移民したルーツを持つ人であるということです。セリーヌ・ディオンはフランス系としてカナダに、レディー・ガガはイタリア系として米国に。オリンピックは政治とは離れた次元のように語られますが、その実は、トランプによる米国のヨーロッパ離れが現実化するなか、フランスはもしかすると「北米」という場所を自分たちヨーロッパの強い延長として打ち出したかったのかもしれません。

 開会式で目を引いたのは、フランス革命を彩るマリー・アントワネットのおどろおどろしい登場であり、自由と民主主義の「共和国」フランスを前面に押し出す催しものでした。その延長上に新大陸のカナダと米国の自由と民主主義の「兄弟国」がある──こうした大西洋を挟んだ旧世界と新世界の連帯を改めて印象付ける狙いが開会式のイベントに込められていたのではないでしょうか。それは、米国のEUさらにNATO離れになりかねない「もしトラ」への牽制と見えないわけではありません。穿った見方かもしれませんが、そんなフランスの思惑が見え見えのイベントでした。

AERA 2024年8月12日-19日合併号