我が国は、人生90年時代を迎え、超高齢社会を迎えつつある。それは未知の社会でもあり、従来の考え方や仕組みの延長線上では対応しきれない。本書は、樋口先生が2013年から2015年にかけて東京大学法学部で行われた一連の「高齢者法」の講義を元にして書かれたものだ。

 我が国の法学部や法科大学院では、法体系を論じる場合、まず法律ありきで法律の体系の解説が中心になりがちだ。本書は、高齢者を巡る法律問題については、「法を少し変えるだけで社会をもっと住みやすく変えることもできる、実際には、法は超高齢社会のスピードについて行けていない、それを改める方向性を示すことができたら」と考え、「超高齢社会に、暗くならないで立ち向かおう」、そして、高齢者に役に立とうとする「実践的専門家」を育てたいという願いが全編で貫かれている。課題解決型の姿勢での本格的な「高齢者法」の我が国の先駆的な取り組みと言ってよい。

 構成は、第1章「高齢者問題は法律問題」、第2章「超高齢社会の現状認識―法律家のあり方」で基本認識を示し、第3章「高齢者医療と法」、第4章「高齢者と成年後見制度」、第5章「高齢者と住まい―終の住処の選び方」、第6章「高齢者の経済的基盤・財産の承継」、第7章「高齢者をめぐるさまざまな課題」と各論が並び、私たちが知っておきたい高齢期の法律問題について、豊富な情報を大変わかりやすく整理して論じ、あるべき方向も提案している。

 第1章では、多岐にわたる高齢者の法律問題について、今後は、弁護士がホームドクターのように気軽かつ容易にリーガルサービスをできるようにすべきだとか、認知症患者が引き起こした鉄道事故に関する判例を例に、日本の裁判所は、損害の公平な填補といった視点での事件の処理という面にとらわれがちで、その社会的影響に対する配慮が弱く、現在の高齢社会の現実に対する想像力が欠如しているのではないかなど、樋口先生の「法改革」「法律家改革」への姿勢を歯切れよく示している。

 第2章では、我が国の超高齢社会への移行は、その持続可能性が試されているという認識の下、これを世代間の分担といったゼロサムゲーム的発想で暗くとらえないで、元気高齢者の増加を目指し、高齢者の増加を社会全体のプラスに生かす方向で考えるべき、このことは法律だけでできることではないが、そのようなとらえ方が大切だとしている。そして、高齢者の運転を巡る法規制を具体例に挙げ、これに画一的なルールで対応する法の傾向に対して、年齢にこだわらず個人の残存能力を最大限発揮させる条件を整えるといった方向を大切にし、高齢者の自由と権利を保護するという法の側面を重視すべきと述べるなど、法と法律家の在り方論を展開している。

 第3章では、がんの告知、インフォームド・コンセント、終末期の医療のあり方などについて、様々な事例や考え方を吟味しながら、ご自身の見解を明快に示し、現在論議されている尊厳死法案に関しては、試案も紹介している。第4章では、我が国の成年後見制度の限界を指摘した上で、アメリカの「持続的代理権(認知症になる前に選任した代理人の代理権授与の効果が自らの判断能力喪失後も持続する方法)」や「生前信託」の仕組みを紹介し、日本でもそれを参考にした制度と運用をと提案している。第5章では、高齢者の住まいを巡る法律上の論点やより良い住まい方を様々な事例を取り上げて幅広く分かりやすく論じ、これらに関し、親切な相談相手になる「街の弁護士さん」への期待や、高齢者への住まいの貸し渋り問題に着目した「空き家信託」というユニークな提案も示している。第6章では、年金や相続をめぐる法律問題について様々な事例や論点を幅広く取り上げ、現在多発している相続争いに関しては、家庭裁判所での紛争処理でなく、できる限りの予防措置が大切と指摘し、アメリカの生前信託の仕組みを再度詳しく取り上げ、このような仕組みの活用につき「街の弁護士」が助言するようになり、困った事態を解決する提案をするサービス業として弁護士がイメージされる時代を早く作るべきと説いている。第7章では、「高齢者虐待防止法」の課題と改めるべき方向を述べるとともに、高齢者の生きがいと就労の大切さに触れ、内村鑑三が、誰もが世に遺せる最大の遺物は、人の生涯そのものであると述べた名講演を取り上げ、何を残したかという結果ではなく、それぞれいかに真剣な生き様が出来たかが高齢者の生きがい問題の本質であると示唆して締めくくっている。

 ややもすれば堅く暗くなりがちな法律からの高齢者問題へのアプローチが、英米法についての深い造詣の下、明るく未来志向、かつ名調子で語られており、何かしら読後さわやかな気持ちになった。

※「辻」のしんにょうは、正しくは一点しんにょう