落ち込んでいる人がいれば、わたしは、
「とりあえず、だまされたと思って、知覧に行くといいよ」
と、鹿児島の知覧にある「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)に行くことを勧めている。
わたしが、初めてここを訪れたのは、もう20年くらい前になる。
当時、知り合いのベンチャーの社長たちが、口々に、
「ぜったい、一度は知覧に行くべきだよ」
と、わたしに教えてくれた。
そのころは、会館には、ほとんど人がいなかった。
静かな空間で、特攻に飛び立った人たちの手紙や遺品を見て、ガツンと頭を殴られた。
特攻で死んで行った人たちは、ほとんどが20歳前後の若者たち。自分たちは死んでいくにもかかわらず、遺った人たちで、日本を復活させることを祈っていた。
そんな手紙の山を見た時、涙が止まらなかった。
「わたし、いったい、何をしているんだろう」
「この人たちに恥ずかしくない生き方をしているだろうか」
自分に問いかけた。
いいかげんに生きている自分が恥ずかしくなった。
「日本のために何ができるか」
「後世のためにわたしは何をしなければならないのだろうか」
初めて考え出した。
あれから何度も知覧特攻平和会館に足を運んだ。
何人もの仲間を連れていった。
連れていった仲間も、それから何度も知覧に足を運んだり、他の仲間を連れて行ったりしていた。
あれから、何年もたって、いろんなメンバーが知覧を紹介したり、雑誌などでも広報された。
最近では、ベストセラーになった百田尚樹さんの『永遠の0』(講談社文庫)の本や映画の影響もあって、たくさん
の人が訪れるようになって、完全に観光地になった。
読みにくい手紙もデジタル化されて、映像もあって、会館もとってもきれいになった。
日によっては、混雑していて、かつてのように、静かに浸れない日もある。
でも、ゆっくり、ひとつひとつの手紙を読むと感じるものはたくさんある。
明日、死にに行く10代の若者の笑顔。
もし、いま、わたしが、彼らと同じ状況になっても、ぜったい、こんな笑顔になれない。