英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。
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米大統領選で共和党から立候補を表明していたロン・デサンティスが撤退を発表した。そのとき、チャーチルの言葉として引用した言葉が、誤引用だったとわかって話題になった。「成功は最終的ではなく、失敗は致命的ではない。重要なのは続ける勇気だ ウィンストン・チャーチル」と彼はXに書いたが、国際チャーチル協会によれば、該当する言葉はないという。
昨年の英保守党の党大会で、ペニー・モーダント(英国王の戴冠式で宝剣を持って歩いていた枢密院議長だ)は、「立ち上がって戦え」と演説で12回も繰り返し、「過去の人々を忘れてはならない。チャーチルがいなければゼレンスキーもいなかったことを思い出すべき」と言った。2014年にチャーチルの伝記本を出版したジョンソン元首相は、オバマ元大統領がホワイトハウスからチャーチルの胸像を撤去したとコラムに書いて物議をかもしたこともある。
なぜか今、チャーチルが保守派のアイコンとしてリバイバルしているのだ。海外はさておき、英国でのこの現象は奇怪だ。植民地支配を肯定した白人帝国主義者としての側面を否定されてきたチャーチルが、いつしかその部分をあまり強調されなくなり、ファシズムと戦った反ナチズムの英雄とみなされている。
昔はよかった、エスタブリッシュメントが上から強く支配する社会のほうがうまくいく(レイシズムとか搾取とかがあったとしても)、みたいなノスタルジーが高まっているのだろうか。それも問題だが、最も気にかかるのは、欧州の国として唯一、米国と共にイエメンのフーシ派拠点を空爆した英国で、第2次世界大戦時の首相の人気が復活していることだ。議会承認も説明も何もなく、ニュース速報でいきなり空爆の事実を知らされたときには、「新年早々、戦争が始まるの?」とびっくりした人も周囲には少なくなかったが、中東地域への軍事攻撃は、立ち上がって戦っておけばいいというような単純な問題ではない。
チャーチルへの郷愁は、単純だった時代への郷愁かもしれない。だとすれば、それはないものねだりだ。存在しないものにすがろうとするから、ない言葉も引用してしまうのだろう。
※AERA 2024年2月12日号