1961(昭和36)年9月、渋谷駅で撮影。打ち合わせや約束をする人々で駅の赤電話は常に埋まっていた
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 昭和から現在に至る電子機器類の発展は目覚ましいものがある。特に電話は、全く違ったものに変わった……。昭和の生活が描かれた漫画「サザエさん」で、電話の移り変わりを振り返ってみる。AERA2023年10月2日号より。

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 電話といえば、あなたはどの電話を思い浮かべるだろう。スマホ? ガラケー? コードレス電話? この質問に「黒電話」もしくは「赤電話」と答えたあなたは、昭和世代に違いない。

 何のことを言っているのかわからない若い読者のために説明すると、「黒電話」は家庭用固定式電話のことで色は黒。日本電信電話公社(NTTグループの前身)が、電話の契約をした家庭に貸与していた。携帯電話が当たり前の世代には信じられない話かもしれないが、1985(昭和60)年、電電公社が民営化されNTTになるまで、家庭の電話は購入するものではなく貸し出されるものだった。

ご近所に電話を借りに

 留守番やファクス機能が搭載されたプッシュ式電話を各家庭などで購入して使うようになったのは、昭和末期から。使わなくなった黒電話は電電公社へ返却しなければならなかった。

「赤電話」は53(昭和28)~82(昭和57)年頃まで駅や公園などにあった赤色の公衆電話のこと。昭和を代表する4コマ漫画「サザエさん」にも頻繁に登場する。昭和の頃は駅に赤電話が複数設置されていた。

「手紙と電話」を特集した「サザエさん2023年秋号」では、固定電話が自宅にないのが普通だった昭和20~40年代の生活の様子が描かれている。昭和の20年代にはサザエさんがご近所の果物屋さんに電話を借りたり、波平さんがたばこ屋さんの前にある公衆電話から畳屋さんに電話したり。そして昭和40年代後半になるとようやく黒電話が磯野家に設置され、友達と楽しそうにおしゃべりするサザエさんの姿が出てくる。昭和の頃は、今とは違い、いつでもどこでも連絡が取れるわけではなかった。だからこそ、電話をする時間が貴重だったし、嬉しかったのだ。

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