閑話休題。その学校公演のために降り立った駅は、海まで徒歩2分。潮の香りが漂う漁師町だった。予約していたタクシーの運転手さんに「〇〇校はどんな学校ですか?」と聞くと「古いね」と一言。聞きたいのはそんなことじゃなくて、生徒の質だ。言っちゃ悪いが、お勉強の出来る学校のほうがすんなり落語を受け入れてくれてよく笑う。一方、苦手な学校は拒否反応がすごい。というか、最初からこちらを舐めてかかってくる。高座に上がり「えー、これから皆さんに落語をですね……」と言っただけで「ウェーーーーイ!! ラクゴダッテーーーッ!!! ソンナンチョーツマンネーンジャネー!? ショーテン、ショーテン! ニチヨーニジーチャンガミテルショーテン! ウェーーーーイッ!!」みたいなかんじの学校もその頃多かった。だから我々落語家はよくタクシーの運転手さんに探りを入れるのだ。
「うーん、落語かぁ……。やってみなけりゃわからんな……このへんは魚が美味いんだけどね」。聞いてもないのに運転手は魚を推し始めた。「いや、終わったらすぐ帰るんで魚食べる暇ないんす」「そうなの? 残念だなぁ。落語だけやりにきたの? もったいないなぁ、〇〇で魚を食べねぇんなら、〇〇に来てもしょうがねぇよ」。もういい、黙ってくれ。
タクシーで1分半ほどで会館に着いた。なんだ、海からさほど離れていないじゃないか。まだ潮の香りが続いている、いや香りというより……匂い? いや、臭いか。会場の楽屋に入ると同行の前座さんが「兄さん、こんなところに……」と何かを拾って私に見せた。2センチくらいのカニの死骸だった。「楽屋口のところに落ちてました」「どこから来たんだろうね?」。楽屋にまで潮風が入ってくるのか、中は湿っぽく、床はなんだかザラザラと砂っぽい。
「あ、ここにも」と楽屋の前に死んだカニ。「オレたちの落語を聴きに来たのカニー」。その日の座長だった年配の師匠(誰だか忘れた)が得意げに言うので、みんなで愛想笑い。「じゃ舞台チェックしてきます」と私は客席の中程に立ち、前座さんの喋るマイクの音量や舞台の照明のチェックをする。会場内を歩き回っていると時折足の裏に、なにやら「サクッ、サクッ」とスナック菓子を踏みつけたような感触と音。カニだった。