本書は時代小説の新しい書き手の登龍門として、年々評価を高めつつある朝日時代小説大賞第五回受賞作である。
作者は2005年に第6回ホラーサスペンス大賞を『キタイ』(文庫刊行時に『ラスト・セメタリー』と改題)で受賞。これが作者のデビュー作で、作風を知る上で重要な位置付けをもった作品となっている。奇妙で不気味な雰囲気を醸すプロローグと、これを起点に謎を深めていく作りは、物語を紡ぐ書き手としての力量を示していた。特異な発想と読者をぐんぐん引き込む圧倒的な迫力に満ちた展開に将来性を感じたのを記憶している。その後、『レッド・デッド・ライン』(文庫刊行時『赤い糸』)、『祭りの夜、川の向こう』等のホラー小説を発表し、本書で初の時代小説に挑戦。それだけにどんな作品に仕上げてくるか、興味津々であった。
まず、作者の「受賞の言葉」を紹介しておく。作家としての姿勢や資質を知る上でポイントとなる内容を有しているからだ。
《40代半ばになってから物語を書き始めた僕の原点は、思春期の頃に夢中になった落語や講談でした。僕は自分の物語が文字で表現した落語のようなものだと思っています。小説が好きな方には少し異質かもしれません。
その物語が故郷で起きたわずか数時間の奇妙な戦を題材に得て、この一篇に仕上がりました。この物語の魅力は素材そのものにあり、僕はそれを生のままに書き写したに過ぎません。》
注目して欲しいのは“物語”という表現が多用されていることだ。この場合“物語”は“戯作”と置き換えたほうがわかりやすいかもしれない。落語、講談という言葉で見当がつくように、作者の作家としての姿勢は、読本、洒落本、滑稽本などの“戯作”、なかでも物語性の豊かなものを書ける戯作者をめざすところにあると推測しうる。これが本書を理解する上での鍵である。
特に導入部のエピソードは戯作者たらんとする作者の姿勢が色濃く反映したものとなっている。物語の舞台は室町時代末期の将軍と鎌倉公方が権力抗争をくり返した“永享の乱”後の関東の争乱である。主舞台となる古河城は抗争に敗れ鎌倉をのがれた足利成氏が入城し、それ以来五代にわたって古河公方の本拠地となったことで世に知られている。
本書はこの古河城で展開された《わずか数時間の奇妙な戦》に想を得たもので、作者は《この物語の魅力は素材そのものにあり……》と記しているが、これは謙遜で、パワーみなぎる物語性豊かな作品に仕上がっている。その導火線となっているのが導入部のエピソードである。
突然、雲ひとつない冬の空に雷が鳴る。女を犯そうとしていた男たちが驚く。そこに踝(くるぶし)まで隠れる長い褞袍(どてら)、それも真っ赤な地の厚い生地に黄や青の糸で刺し子を施してあるひょっとこ面の若い武士が登場する。端折って書けばこうなるのだが、これが本書の主人公である。
実にうまい出だしである。まず第一の注目点は主人公の顔と服装の描写である。落語と講談で培ってきたセンスがデフォルメに巧みに生かされている。躍動感溢れる強烈なキャラクターであり、まさにヒーロー小説の主人公にふさわしい。さらに雷である。ヒーローを造形する上で重要なのが“技”である。冒頭の雷は『火男』という題の象徴であり、大事な伏線となっている。見落とせないのが犯されそうになっている女の存在である。ヒーロー小説は男と女の出会いの物語である。“技”で度胸を描き、スカッとさせ、女で哀切さを呼び込みドキドキさせる。時代小説がもっとも面白い読物となるのは、伝奇色の濃いヒーロー小説の衣裳をまとったときである。
つまり、この出だしには奇想天外な着想と、波瀾万丈の物語を予感させるエッセンスが詰まっているのである。出だしの面白い作品は読者を絶対に飽きさせない。それを証明するように、手に汗を握る戦闘場面が高密度で展開。そればかりではない。主人公は火術を使うだけでなく、《人の心にも火を点ける》という深味をもっている。これが滑稽さや哀しみに満ちた場面を呼び込む。これは、主人公をはじめ彼を取り巻く脇役の人物造形がうまく機能しているからこそ可能なのである。落語、講談の面白さと、ホラー小説で鍛えた小説作法が、本書に生かされている。
圧巻は十万を超える鎌倉の軍勢に囲まれた古河城を、最後に残った八十数人で守りきる場面である。主人公の時代を超越した火器を自由自在に操る、“技”は見物である。躍動感溢れたエンターテインメントを期待できる書き手の登場である。