経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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少子高齢化大国といえば日本。我々はそう思い込んできた。だが、実態はそうでもない。
中国も、深刻な少子高齢化状況に直面している。ヨーロッパでも、人口問題が大きなテーマとなりつつある。2018年には、EU28カ国のうち10カ国で人口が減少した。東欧諸国が中心だ。出生率の低下と移民による人口流出が主因である。だが、イタリアでも、ギリシャでも、ポルトガルでもスペインでも、出生率の低下が著しい。生涯を通じて一人の女性が何人子供を産むかという測り方でみると、南欧諸国全体としての出生率が、いま1.35である。人口が減少しないためには、2.1が必要だ。
かくして、少子化も高齢化も、いまやグローバルな問題になっている。もっとも、少子高齢化は本当に問題なのか。あるいは、どういう観点から問題視すべきテーマなのか。筆者としては、ここがどうもいま一つ釈然としない。少子高齢化は最大の国難。安倍首相が盛んにそうおっしゃる。イタリアの右翼排外主義政党「同盟」の党首、マッテオ・サルビーニ氏も同様のことをいっている。少子高齢化は国家主義者にとって目の敵らしい。
人口減少は何とか避けなければならない。そのためには、女性たちにたくさん子供を産んでもらわないと困る。女性たちは、働く暇があったら、その時間を使って産めよ、増やせよ。それが家族を愛し、国を愛する女子のやることだ。サルビーニ氏はこんな風に考えているようだ。
人口減が避けられないなら、労働生産性を引き上げなければならない。この論法は、サルビーニ氏ほどの過激思想家でない論者たちも、しばしば持ち出す。この考え方の背後には、人口が減って経済が成長しなくなるのはまずい、という発想がある。一方で地球温暖化に警告を発する人々が、他方では、地球資源に負荷をかける経済成長をマストだという。成長維持のための生産性上昇を唱える。これも、やっぱり何だかおかしい。
人口が減少するのは確かに寂しい。だが、ことの本質は愛国でも成長でもない。問題は、人々が安心し、喜んで子供を持てなくなっていることだ。これは人権問題だ。政策責任者たちには、ここを見誤らないでほしい。
※AERA 2020年2月3日号