政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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11月9日、ベルリンの壁崩壊から30年を迎えました。私は壁崩壊を思うと今でも感慨深い気持ちになります。壁崩壊の10年前、旧西ドイツの大学に留学していた私は、当時東ドイツと韓国に国交がなかったため、ベルリンを訪問することができませんでした。この時、冷戦が国籍を背負って生きている人間の具体的な行動を縛ったり、阻害したりすることに気づかされたのです。
あの頃、私たちはどこかで東西対立を水と油のように考えていて、壁の崩壊とともに冷戦が終わり世界は平和になっていくはずだという多幸症的な高揚感がありました。しかし、世界はむしろ混乱のるつぼと化し、至る所で揺り戻しが起きています。旧ソ連をはじめ東側の処方箋の間違いが歴史によって証明された一方で、資本主義は今や地球の隅々を覆うようになり、その内部に格差や環境破壊など大きな矛盾を抱え込んでいます。そして、米ソ対立に代わって米中対立が新たな冷戦として語られるようになりました。
現在の米中対立は、他面では似た者同士の角逐という側面があることを見逃してはなりません。今の中国が望んでいるのは、国家社会主義ならぬ国家資本主義です。他方米国では世代間の対立、階層間の格差、さらに地理的な分断が進み、民主社会主義が広がっています。中国は国家資本主義、米国には民主社会主義の動きが出ているのですから、冷戦たけなわの頃には想像もできないねじれが生じています。社会主義対資本主義という冷戦のロジックで米中対立を考えていくのは誤りでしょう。
ベルリンの壁崩壊から30年。この機会に、西側を形作っていた基本的な価値を見直す時です。冷戦崩壊後、称揚されてきた北欧型福祉社会でもポピュリズムが台頭しています。そして、独裁的な統治システムで、高い成長率を誇り、テクノロジーの面でも進化しつつある中国型モデルが、民主主義や議会主義で混乱する社会より、より効率的で望ましいという考えが広がろうとしています。果たして、かつての西側諸国も中国型モデルにより接近していくか。それとも、そのモデルはどこかで破綻するのか。今後の大きな課題になるはずです。
※AERA 2019年11月25日号