10月22日、天皇陛下が国内外に即位を宣言する「即位礼正殿の儀」が行われた。新元号・令和が5月1日に施行され、約半年後の実施となったのはなぜなのか。AERA 2019年11月4日号に掲載された記事を紹介する。
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皇位継承は先の天皇の死去や譲位を機に、間を置かず行われる。この時実施されるのが、皇位継承者が三種の神器である天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を受け継ぐ剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀であり、この儀式を経て新天皇が誕生する。歴史的には践祚(せんそ)と呼ばれ、今回は5月1日に実施された。
これに対し「即位」は、天皇がその位についたことを内外に明らかにすることだ。10月22日から始まった、いわゆる「即位の礼」には、即位を宣言する即位礼正殿の儀のほか、国内外の関係者や賓客を招待しての饗宴の儀(10月22日から31日まで計4回実施)、23日に開かれる内閣総理大臣夫妻主催晩餐会、11月10日に延期されたお披露目のパレードである祝賀御列(おんれつ)の儀などが含まれる。
なぜ皇位継承から即位の礼までに、これほど間が空くのか。平成の時には喪に服していたこともあり、皇位継承から1年10カ月後に即位の礼が行われた。今回は服喪ではないものの、基本的には前例を踏襲していると言える。
これらの背景にあると考えられるのが、代替わりの儀式などを定めた旧皇室令の「登極令」(1909年制定)だ。明治・大正・昭和・平成と、即位の礼と大嘗祭はペアになるようにして実施されてきた。大嘗祭は7世紀以来、ずっと11月(明治より前は旧暦、現在は新暦)に実施されており、必然的に、それに先立つ即位の礼は10月に行われるケースが多くなる。
しかし、工藤隆・大東文化大学名誉教授(日本古代文学)によると、大嘗祭はもともとは11月でも末に近い「冬至」の日に行われていたらしい。工藤さんによれば、大嘗祭の本質は、稲作収穫儀礼と天皇霊の継承儀礼が合体したもので、冬至の日に行われるのは、それ以後、日が延びる=生命の再生という意味が込められているという。「宗教儀式だと忌避する人もいるが、大嘗祭こそ天皇を天皇たらしめる根幹の儀式。無形民俗文化財としてでも継承する価値がある」と話す。(朝日新聞編集委員・宮代栄一)
※AERA 2019年11月4日号