ミュージックビデオには、先住民の権利団体などが「娯楽のために“インディアンの格好”をするな」「我々から盗み、我々を傷つけるものだ」と憤った。このバンドはビデオをすぐに削除し、「感情を害したことに気づいた」として、「ネイティブアメリカンの人たち・文化・歴史を、傷つけ、矮小化するつもりはなかった」と謝罪した。
いずれの例も、「抑圧者が、被抑圧者を虐げてきた歴史や今も続く差別を無視し、表層的に被抑圧者の文化をつまみ食いして、商業利用している」という点が批判されている。
抑圧者とは白人。有色人種の「未開の地」を「発見」し、武力で征服し、植民地として搾取してきた。アジアやアラブの文化は、ときに野蛮で低俗だと見下され、ときにエキゾチックだと愛玩された。大英博物館は、ギリシャやナイジェリアから「運んだ」大理石や金属の彫刻を今も展示している。
政治、経済、社会、文化の不平等さは過去の話ではない。例えば、現代アメリカでは、レストランでの有色人種に対する不平等な扱いや白人警察官による黒人殺害事件が、頻繁にメディアを騒がせる。トランプ大統領は、メキシコ人を「強姦犯」と呼び、有色人種のアメリカ人下院議員らを指して「来たところへ戻らないのか」とツイートする。こんな発言も報道された。
「中米やアフリカのような汚らしい国ではなく、ノルウェーのような国からもっと移民を迎えるべきだ」
こうした理不尽な搾取や差別にもかかわらず、都合のいいときだけ傲慢に文化をかすめ取る。そんな構図への批判こそが、「文化の盗用」という用語の背景にある。用語の源流は20世紀初頭、ステレオタイプ化した黒人の描き方に対する批判に遡るが、1980年代ごろから評論や学術分野で広く使われ始めた。
●盗用にピンとこない日本人、モデルの着物姿「うれしい」
だが、この「文化の盗用」は、日本ではなじみにくい感覚のようだ。今回問題になった着物を巡っては、過去にこんな騒ぎもあった。