昭和や平成の初期までは、学ランやげたなどを身につけ、時代に迎合しないスタイルで学内を闊歩(かっぽ)する「バンカラ大学生」が生息していた。都内では早稲田大や明治大、法政大などが筆頭に挙げられ、大学のイメージにもその名残があった。だが、時代は令和へと移り、どこの大学でも女子学生の比率が増え、キャンパスはオシャレな学生であふれるようになった。はたして、バンカラは絶滅したのか。取材をすると、ひそかに生存していた現代の「バンカラ学生」の姿が見えてきた。
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「あのころは俺もまだガキだったんですね」
東中野にある純喫茶。鋭い目つきの若い男性が、たばこを片手に苦笑いした。
早稲田大文化構想学部3年の山田貫太さん(20)だ。179センチの長身で、黒の革ジャン、ジーパン、ブーツを身にまとい、大学生らしからぬ雰囲気をただよわせている。
山田さんは昨年、早大生5万人の中からその頂点を決める「早稲田王決定戦」(主催:企画集団便利舎)で準優勝。決定戦は、唐辛子パウダーの中から口で鍵を探し出したり、ゲテモノを早食いしたりするなどガチンコの根競(こんくら)べを行う。ここで勝ち抜いた者は、早稲田の「バンカラ精神」を代表する学生の1人といっても過言ではないとされる。
冒頭で「若かった」と振り返ったのは、大学入学時のこと。山田さんは入学後に、早稲田的なバンカラで有名なサークルの新入生歓迎会に参加した。新入生は山田さん1人、それに対して先輩は17人いた。先輩ひとりひとりにあいさつをして回ったが、そのとき、団体のトップと「バンカラ」について意見が対立したという。
「大衆迎合的な感じがしたんですよね。その人は、バンカラというよりは、こじゃれた服装をしていて。あと、強権的に黙らせようとするような態度もあって、気になってたんです。サークルの資金をクラファン(クラウドファンディング)で集めるという話を聞いたときに、はやりに乗っている感じがして、『それはちげーだろっ!!』ってカッとなっちゃって。すると、お互いに手が出ていました」