
90年代ラジオの黄金期の青春とハガキ職人たちのその後の人生。『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』の著者であるせきしろさんがAERAインタビューに答えた。
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ハガキ職人。主にラジオ番組のコーナーに投稿する人たち、なかでも常連の人たちだけに与えられる称号だ。本書の著者、せきしろさんも深夜ラジオでその称号を与えられた一人。かつてのハガキ職人は現在、ラジオ番組の構成、小説の執筆など幅広い分野で活躍している。
本書執筆のきっかけは、1990年代について書いてほしいとの依頼だった。
「自分の90年代はハガキしかなかった。僕がもっとも一生懸命にやった時期。そこがなければ今の自分がない」
小説の主人公がハガキ職人になるのは必然だった。
ビートたけし、とんねるずらが1部。深夜3時から始まる2部には伊集院光。黄金期のオールナイトニッポン。当時住んでいた北海道でネットされていなかった2部を聴くために、「ロシアの電波との闘い。ラジオを持って聴こえるところを探しまわった」。
「すごく身近な感じがした」ラジオは「心のよりどころとしての役割が大きくなる」。そしてネタを投稿することを通じ、居場所となった。ラジオの醍醐味の一つはパーソナリティーのフリートークだが、架空のパーソナリティーによるフリートークの描写は特に難しかったという。
小説的な読みどころとは別に、実用的な部分もある。読み手を意識し、改行に気を配るなどのハガキの書き方。さらに番組の構成や今後の展開も考えたネタの書き方など、ラジオ投稿の指南書でもあり、広く人へモノを伝える極意も教える。
かつてのハガキ職人という称号は、メディアの変遷とともにメール職人やネタ職人という言葉に変わった。現在のラジオで一番の変化は投稿数の増加だという。テーマも大喜利と呼ばれる一問一答の形式が増えた。
「一時はダメかと思ったが、逆にラジオを聴こうという流れを感じる」
現役の職人たちには、反面教師としてでもいいから、本書を読んでほしいという。
「どうでもいいネタであっても日々考えて投稿する経験には、きっと何かがある。ネット配信でも何でもいい。そのなかで、もう一歩前に進んで、自分なりのやり方を見つけてほしい」
最後に、せきしろさんが撮った表紙の写真について聞いてみた。
「この写真は、投稿したハガキが読まれたか読まれなかったかが判明する、ちょうど2部が終わった時間帯の朝焼けの写真です」(ライター/本山謙二)
※AERA 2017年9月4日号