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 内山さんや中山さんのご先祖が、ずいぶん山深いへんぴな所に住んでいたかどうか知らないけど…田中さんとか中村さんとか川島さんとか、日本人の名前のルーツは地名や地形から来たのが多いような気がする。(佐藤さんや鈴木さんのことは知らない。)

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 アート・ペッパーさんのご先祖はきっと胡椒など香辛料の商家だったに違いない。同じアートさんでも、ファーマーさんは農家、テイラーさんの実家は仕立屋さん、ブレイキーさんの先祖は制動機を作ってた(ウソ)……欧米人の名前には職業を表すものが多い。

 ペッパー家の香辛料店でケシの実や大麻を扱っていたかどうか知らないけど、アートは麻薬中毒のために収容所やら刑務所やらに入れられて演奏活動をたびたび中断した麻薬の常習犯だった。

 初逮捕後の翌年に釈放されて、生涯吹き続けることになる「ストレート・ライフ」を録音したにもかかわらず、懲りずにまたやってまた逮捕~投獄。

 2度目の釈放の後に吹き込んだのが「リターン・オブ・アート・ペッパー」。監獄からリターンした出所記念アルバム。

 60年代は麻薬常習者として刑に服したあと、体を壊して入院生活や更生施設に入ったりして長いブランクの時期となった。

 施設で出会ったローリーと出所後に結婚。彼女の献身的な愛情に支えられて、アートの社会復帰が実現したと言われている。
(夫婦そろって逮捕されてしまった日本のアホな芸能人は、どうやって立ち直るんだろうか?)

 さて、立ち直ったアートが、カル・ジェイダー・グループのゲストとして初来日した1977年、ラッキーなことに僕はまだ駆け出しではあったけれど、すでにジャズを撮るカメラマンになっていた。麻薬前科者の来日とあって、関係者は入国できるかどうかと気をもみ、多くのファンは直前まで日本公演の実現を心配していた事を思い出す。

 さて、77年44月1日東京郵便貯金ホールの幕は上がり、アートの姿がステージに現れると同時に、待ちに待った日本の聴衆からものすごい拍手と歓声が沸き上がっていた。黒いスーツをビシッと着こなしたアートは感動を噛みしめるように長い間客席を静かに見渡していたように思う。

 文字通り自らの生き様をストレートに語った自叙伝「STRAIGHT LIFE」の中に、この時の感動がいかに素晴らしく大きかったか、そして「生きていてよかったと思った……」と綴られている。

 このあと82年に亡くなる前年まで、毎年アートは来日して日本のファンのために演奏した。ぼくは5回の東京公演を撮影する機会があったのだけれど、大きなアクションで演奏するタイプでないアートは、どの写真も静かに目を閉じて生きている感動を噛みしめながら演奏しているように見える。

アート・ペッパー:Art Pepper (allmusic.comへリンクします)
→サクソフォーン奏者/1925年9月1日-1982年6月15日