国立競技場のデザインに携わったことでも知られる世界的建築家、隈研吾さん。実は作家・林真理子さんと同い年で、30歳ごろからのお付き合い。先日もネパール旅行にご一緒したばかりというタダならぬ仲なのです。青山の一等地にある隈さんの事務所にお邪魔し、たっぷりお話をうかがいました。
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林:今度の新しい本(『ひとの住処1964-2020』)をさっそく読ませていただきました。「ふたつのオリンピックをつなぐ圧巻の半自伝的文明論」とありますが、同世代としてとても興味深かったです。
隈:林さんと僕は、同い年なんですよね。
林:ええ。隈少年が丹下健三さんが設計した代々木体育館を見て、「建築ってなんて素晴らしいんだろう」と思ったというのは有名なエピソードですけど、大阪万博も隈少年に大きな影響を与えていたとは知りませんでした。
隈:1964年の東京オリンピックで建築に目覚めて夢がふくらんでいたのに、70年の大阪万博はガッカリしちゃってね。黒川紀章さんは当時僕のヒーローで、黒川さんのメタボリズム(新陳代謝)の思想を具現化した建物を見ようと思って胸ふくらまして行ったんだけど、鉄でできた怪獣みたいなパビリオンだったので失望しちゃった。だけどそれでも建築を志すのをやめなかったのは、今から思うとよかったなと思ってる。
林:心を動かされたのはスイスのパビリオンだったそうですね。隈少年はそこで心を癒やされたとか。
隈:そう。ほかのパビリオン、たとえばアメリカ館にしろ当時のソ連館にしろ、とにかくデカけりゃいい、目立てばいいという感じで。その中にあって、スイス館だけは、広場にアルミ製のきれいで繊細な木のようなオブジェがあって、展示は地下にちょっとあるだけ。気持ちのいい広場をつくればいいんだという発想が、高校生ながらカッコよく思えて、唯一の希望が、スイス館だったんだよね。
林:国立競技場もついに完成しましたね。すごく話題で、私も見せていただきました。前の広場で競技場をバックに皆さん記念撮影してますけど、とてもいい風景だなと思って。