人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「この春の異常な不安」。
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春が苦手である。なんとなく不安なのだ。柔らかい春の雲も、芽吹きのない枝の微かな揺れにも、心が動かされる。
特に今年はコロナウイルスの蔓延により、どこで感染が発生しても不思議はない。しかもその不安は、停泊中の豪華クルーズ船に屋形船と、はっきりイメージできる型を持ってしまった。
例年なら春の不安はなんとなくで型がないのに、今年の不安は型を持っている。
もう一つはっきりこの目で眺めて不安になったものに、飛行機の機影がある。これまで飛行機といえば、白く長く尾を引く飛行機雲だったり、かすかに聞こえるエンジン音に目を上げると、はるか上空を小さな物体が動くさまを見つけるぐらいだった。
それが今年ははっきりくっきりと機影を刻みつつ目の前を横切っていく。
私の住むマンションは広尾にあるが、二年前すぐ近くに仕事場のワンルームを借りた。広い公園をはさんで高層ビルが林立している。そのビルとビルの間に空が見える。
爆音はふいに右側からやってきた。仕事に一区切りがつくと、私は窓の外の風景に見とれる。樹々に囲まれた芝生の上に、家族連れが憩っている。子供たちの声がはじける。犬が石段を駆けのぼって飼い主の後を追いかける。
私がこの時間、ここにいることを誰も知らない。私の秘密基地だから家人にも教えない。
この自由さは誰にも売り渡したくない。それなのに突然の爆音に邪魔をされた。その犯人を見つけようと音のする右の空を見上げた。一番新しく建った細長い超高層ビルの横から急に機影が出現した。
そして次のビルまでの空間を一瞬飛んで、次の巨大な超高層ビルの陰に隠れた。
私は思わずアッと叫ぶところだった。いつか見た風景にそっくりだったからだ。それはかつての9・11、ニューヨーク・マンハッタンの世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ時と瓜二つだったからだ。