ということは、記紀の天孫降臨(北東アジアでは始祖の地域移遷を指す)の地「日向」は、南九州の日向(ひゅうが=宮崎県)ではなく、北九州の日向(ひなた=福岡県)ではないかと思った。
著者の説に従って神武を伊都国王家出身とし、本書が強調するトーテム(祖霊の動植物)に改めて目を向けると、これまでの「神話」の謎や奇異な記述も理解可能となる。
基盤は3層の集団である。倭地に最初に定着した犬狼トーテム種族(山祇=やまづみ族)。次に稲作・青銅器を伴った竜蛇トーテム種族(海神族)。最後に鉄器を持ち太陽神祭祀の鳥トーテム種族(天孫族=天皇家一族)。
伊都国が天孫族なら、「国譲り」した葦原中(あしはらなかつ)国は隣接の奴国になるが、奴国王は後漢から金印を授与され印鈕(いんちゅう)は蛇(竜蛇トーテム)だった。
神話では、神武の母・祖母とも海神の娘。祖母は父を産む時に「鰐(わに)」の姿になったと伝える。トーテム動物は一族の神話に頻出し、このワニ(サメ)も海神族のトーテムだ。
そして神武は大和にやって来る。
古代史界の大勢は、「(神武東征などの)神話自体が天皇の権威の正当化で信用できない」とする。
しかしそうなら、なぜ正史『日本書紀』は、神武の前に同じ天孫族のニギハヤヒがすでに大和にいたと記したのか。しかも神武は緒戦で破れ、兄(五瀬命)を亡くし、ニギハヤヒが敵将長髄(ながすね)彦を裏切った末の薄氷の勝利(八咫烏=やたがらす・金鵄=きんしは天孫族の鳥トーテム)だった。
この話に本当に史実はないのか。
他に、神武など初期天皇の異常な長寿や長期在位は4倍暦や2倍暦で解消すること▽三種の神器の習俗は朝鮮半島・中国東北部を経て黒海沿岸のスキタイ族まで続くこと▽応仁の乱頃まで宮中に「帝王鎮護の神」として韓神(からかみ)と園神(そのかみ)が祭られていたこと(両神は始祖神の五十猛神夫婦)──なども加えよう。
すると、一見荒唐無稽に見えていた冒頭の本書の結論部分が、次第に信憑性を帯びてこないだろうか。
本書は、著者の古代氏族研究50年の集大成。私はこの一石が、斯界に波紋を広げるような気がする。
※週刊朝日 2019年4月5日号