1960年代にマスコミの寵児となり、その後さまざまな遍歴を重ねたマリアンヌ・フェイスフルが、波乱に富む人生をふり返り、赤裸々に回想録を綴る。
歌手であり、女優であり、モデルでもあるフェイスフルは、文字通り公私両面において、千変万化の役どころを演じてきた。そして、みずみずしさとあどけなさを満面に湛えた美少女から、低くしわがれた声を発する妖婦へと変貌する。
本書では、フェイスフルの実体験のすべてを、すなわちビート詩人との交流に始まり、ギグ(ライヴ)、グルーピー、ドラッグ、デカダンス、リハビリテーション、ガンに至るまで、当然のことながらマスコミによる中傷も含めて、“現在のマリアンヌ”が形成された経緯を、ウイットに富む表現で率直に語る。
マリアンヌ・フェイスフルというスターの実像と虚像が、活字の中に去来し、同時に、彼女の心の強さ、自信喪失あるいは自己不信に陥りがちな性癖にも勝る強靭な精神力が、読む者の心を捉える。彼女自身の言葉を借りれば、究極のボヘミアン・アイドルーーそれがマリアンヌである。
●60年代の思い出
ビートルズの『リヴォルヴァー』を聴けば、私たちの青春時代、みんな若くて浮かれていた頃の思い出が、いつも甦る。私たちは何かにつけて、集まり、ハイになり、思い切りおしゃれをし、一番新しいお気に入りの曲を聴かせあった。お互いの家を行き来し、いろんなクラブに出入りした。たとえば、ピート・タウンゼントとエリック・クラプトンが、チェイン・ウォークに立ち寄り、ミックと私は、ブライアン・エプスタインのところに行くというように。私たち二人は昼間、ジョージ・ハリスンとパティ・ボイドのカラフルなヒッピー風の家に出かけ、夜にはポール・マッカートニーとジェーン・アッシャーに会うこともよくあった。
私はときどき、ちょっとした瞬間や仕草から、無意識のうちに60年代にタイム・スリップする。ある夜、ヴェルサーチのショーの後、私はタクシーを待っていた。私がタクシーに乗り込むと、ステラ・マッカートニーが突然、窓をノックした。私が顔を向け、彼女に目を凝らすと、ステラは私にウインクし、こぶしを握り親指を立てて合図を送った。その瞬間に、彼女の父親ポールの姿が、まざまざと甦った。ステラのウインクと合図は、彼が当時よく見せた仕草そのものだった。それは、チーキー・チャッピー(英国のコメディアン、マックス・ミラーのあだ名)の古臭い芸風を思わせた。だから、そこにはまぎれもなく、“マッカ”の合図を送り、どうしても年老いたチーキー・チャッピーのようにしか見えない、親愛なる“ステラ・バイ・スターライト”(《星影のステラ》)がいたのだった!(本文より抜粋)