世代もジャンルも超えて愛されたミュージシャン、忌野清志郎が亡くなって7年。今でも、テレビで、ラジオで、街で、彼の歌声が響く。いつまでも愛される理由は何か──。
ユーチューブで人気の動画がある。昨年9月4日の国会前で、脳科学者の茂木健一郎さん(53)が学生団体「SEALDs」の求めでマイクを握ったときの映像だ。茂木さんは、夜空を見上げてこう語る。
「清志郎さん、見ていますか」
拍手が沸くと、激しく体を揺らして歌い始めた。
「安保法案、腐った法律! 安保法案、ダメな法案! 何でもかんでも強行採決さー!」
1980年代末、忌野清志郎率いるザ・タイマーズが、民放の生放送で歌って物議を醸した曲「FM東京」の替え歌だった。
清志郎は51年、東京生まれ。70年にRCサクセションでデビュー。「スローバラード」「雨あがりの夜空に」などがヒットした。派手なメイクと衣装に加え、反原発の楽曲を含むアルバム「カバーズ」が発売中止になるなど、社会問題を作品に取り込むことでも知られた。2009年5月2日、がんのため58歳で亡くなった。
死後も、原発や安保などの問題をめぐり、清志郎は何度もクローズアップされる。おそらくそれは88年発表の「カバーズ」、その直後に結成したタイマーズの活動に起因しているだろう。タイマーズや忌野清志郎のソロ活動に参加した三宅伸治氏、RC元マネジャーの片岡たまき氏、RCのアルバムジャケットのデザインを手がけたアサミカヨコ氏に思い出を語ってもらった。
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──「カバーズ」は洋楽の名曲に日本語の歌詞をつけたアルバムでした。
三宅伸治(以下三宅):87年暮れにはもう構想があったと思います。ボス(清志郎)から「こんなカバーをやりたいんだ。♪なにいってんだ~(ラヴ・ミー・テンダー)」って歌うのを聞かされましたから。
──核や原発をテーマにした曲が収録されていたため、レコード会社の親会社から圧力がかかり、発売が中止されました。
片岡たまき(以下片岡):チェルノブイリ事故があって、広瀬隆さんの本を熱心に読んでましたよね。
三宅:「三宅、大変なことになってるぞ」と、ボスが本を貸してくれました。
アサミカヨコ(以下アサミ):当時、ワインのラベルを見て、年代や産地を気にしていましたね。