戦前に旧陸軍の近衛兵として明仁皇太子の周辺の護衛を務めた古山十郎(こやまじゅうろう)さん(2013年没、享年96)は、47歳のとき、明仁皇太子(現天皇)と20年ぶりにタイで再会した。
1964年12月17日の夕方。
昭和天皇の名代としてタイを訪問中だった明仁皇太子と美智子妃は、バンコクにある粕谷孝夫(かすやよしお)日本大使公邸を訪れた。公邸には800人ほどの在留日本人が招かれ、皇太子ご夫妻と面会した。そのとき古山さんの胸にこみあげた思いは、特別なものだったに違いない。
写真は、古山さんの遺品として、おいの広瀬俊也さん(62)が保管していた。撮影者は、古山さん本人だと思われる。
古山さんは、明仁皇太子が5、6歳のころから、そばで護衛を務めてきた。当時の明仁皇太子はやんちゃ盛り。古山さんは広瀬さんに、天皇家に仕える人間の誇りについて、こう説明した。
「近衛兵は、石を投げられても顔色ひとつ変えてはいけない」
皇室の藩屏(はんぺい)を自負する古山さん。だが、敗戦は彼の運命をゆさぶった。東京裁判の準備が始まると、古山さんは宮内省の人間から、こう耳打ちされた。
「あなたたちも罪に問われるかもしれない。国外へ逃げなさい」