森田さんと福井県鯖江市にある中野神社の算額森田真生(もりた・まさお)独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、在野で研究活動を続けている。週刊朝日でコラム「たといえば、こんな風に」を連載中(撮影/写真部・馬場岳人)
森田さんと福井県鯖江市にある中野神社の算額

森田真生(もりた・まさお)
独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、在野で研究活動を続けている。週刊朝日でコラム「たといえば、こんな風に」を連載中(撮影/写真部・馬場岳人)
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 かつて日本には、数学の問題を絵馬に書いた“算額”を神社仏閣に奉納する習慣があった。東京大学理学部数学科を卒業後、在野で研究活動を続ける森田真生氏が魅力あふれる算額の世界をご案内する。

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 数学は「面白いか、美しいか」それだけです―大学時代に先生が講義中、ふとそんなことを言った。それぞれの学問には、それが満たすべき最低限の条件がある。物理の理論は現象をうまく説明する必要があるし、工学の研究は人の役に立つ必要がある。そうしたことが、研究の「良し悪し」に関わる。それでは、数学の場合は、何がその良し悪しを決めるか。「面白いか、美しいか……それだけですよ」。そう先生は、いかにも嬉しそうに言った。

 数学の根底には「美」と「楽」の追求がある。論理と計算の技術の習得に忙しかった僕は、先生の言葉に、目を開かされる思いがした。

 数学は広い。世界中の音楽表現の多様を「一種類の音楽」に回収することなどできないのと同様に、数学もまた「一種類の数学」に還元することなどできない。数学は各地で、その文化に拘束されながら、実に様々に展開してきたのである。

 古代ギリシアの数学、メソポタミアやエジプトの数学、マヤの数学、アラビアの数学、インドや中国の数学、そしてもちろん日本にも日本の数学があった。とりわけ江戸時代の日本の数学は「和算」と呼ばれ、職業や身分を超えて愛される、独自の世界を形成した。

 古代ギリシアに端を発した現代数学が、ともすると「論」と「理」に偏る傾向があるのに対して、和算文化の基調にあるのは、「美」と「楽」への素朴な信頼である。「美」を愛し、「楽」を追い求める、素直な情熱である。

 そんなかつての日本人が見た「数学の風景」をいまに伝える貴重な資料が、全国の神社仏閣に何百と眠っている。それが「数学の絵馬=算額」だ。

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