この記事の写真をすべて見る
「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。第10回は「難民の生きる道」について。
* * *
30年も前の話になる。
そのとき、僕はパキスタンのクエッタから、イラン国境に向かうバスに揺られていた。当時、旅人の間で語り継がれる世界三大地獄交通機関という話があった。1日乗ると、必ずひとりは車内の暑さで倒れるスーダンの炎熱列車。1日乗ると、必ず骨折者が出る中国のジャンピングバス。そして最後が、僕が乗ったパキスタンのバイブレーションバス。激しい振動でバスを降りても、しばらく歩くことができないバスだった。
いったいどういう道を走っているのか、夜行バスなのでわからなかったが、バス全体が激しく揺れ、乗客のなかには悲鳴をあげながら通路にうずくまる人もいた。僕もバスを降りたとき胸が痛くなり、しばらくその場にうずくまることになったほどだ。
イラン国境に着いたのは早朝だった。悲鳴をあげていた乗客とイミグレーションのオフィスが開くのを待った。彼らはアフガニスタン人だった。しかしパスポートをもっていなかった。代わりに彼らが手にしていたのは難民証だった。そして重そうな絨毯を背負っていた。
「あの絨毯を売るのかな?」
同じバスに乗っていたドイツ人の旅行者に訊いた。
「きっとね。彼らは難民証をもっているから、どこでも行ける。商売もできる」
そう教えてくれた。
その後、僕はさまざまな国で、多くの難民を見てきた。国を追われた難民の立場は脆弱で、厳しい生活環境に追い込まれていた。しかし彼らは生きていかなくてはならなかった。彼らの逞しさを支えたのが、難民証だった。
東京の浅草に、「寿司令和」という寿司屋がオープンした。今年6月のことだ。ミャンマーのラカイン族の男たちが開いた店だ。