週刊少年ジャンプで連載中の『バクマン。』、面白いですね。

原作:大場つぐみ、作画:小畑健(おばたたけし)という『デスノート』コンビがおくる、マンガ家志望の二人の高校生を主人公にした作品ですが、この作品を読みたいがために、一度は離れたジャンプをまた毎週読み始めてしまいました。

連載当初は、主人公がマンガを描こうとする動機付けをこんなに周りから固めなければならないのか。今の若い子達は、こんな風に状況をガチガチに固めてからじゃないと前に進むことにリアリティは持てないのかなと若干懐疑的な姿勢で読んでいました。

主人公のサイコーは友人のシュージンに「俺が原作を書くからお前がマンガを描いて二人でデビューしよう」と提案されることでマンガを描き始めようと思う。彼のおじさんは早世したマンガ家で、その仕事場は保存されていて彼らはそこを拠点にできる。片思いの声優志望のクラスメートとは実は両思いだったことを知るが、自分のマンガが大ヒットしてアニメ化しそこに彼女を声優として起用する、その時結婚してくれと言い、彼女もそれに同意する。好きな彼女とリアルでつきあうためには、マンガで大ヒットを飛ばすしかない。

ここまで状況を固めてからやっと主人公はマンガを描き始めるのです。

前作の『デスノート』から考えて、原作者はまず作品のルールを決めるのが好きなのかなとかいろいろ想像してはいるのですが、未だになんで主人公のお膳立てをこんなに整えなければならないのか、作者の意図が腑(ふ)に落ちないでいます。

ただ、主人公達が少年ジャンプ編集部に原稿を持ち込み、担当編集がつくあたりから、俄然(がぜん)話は面白くなります。

新人がデビューするためのテーマの選び方のノウハウ等を初めとして、作家側や編集者側の思惑、編集部内の綱引きなどマンガの現場の内幕がリアルに描かれるのです。

今までもマンガ家を主人公、もしくはマンガ業界を題材にしたマンガはありました。

古くは藤子不二雄(ふじこふじお)氏の『まんが道』から竹健太郎(たけくまけんたろう)&相原コージ両氏の『サルまん』、島本和彦(しまもとかずひこ)氏の『燃えよペン』等、ヒット作有名作も結構あります。

ただ『バクマン。』のように、実在のマンガ誌を舞台にして虚構の主人公達が活躍するというマンガ家マンガははじめてだと思います。

ジャンプに連載しようと頑張る少年達のマンガがジャンプに載っている。

この面白さは多分マガジンやサンデーなどの他の少年誌では無理でしょう。

ジャンプが読者アンケートの順位で掲載順を決め、人気のない作品から10週で打ち切っていくというシステムは、大半の読者が周知の事実です。

いや、事実かどうかは編集部しかわかりません。ひょっとしたら今は違うシステムになっているのかもしれない。でも、そういう編集方針だと思っている人は多い。

他のマンガ誌だとそこまで内情が知られていません。

『バクマン。』の虚実皮膜の面白さは、ジャンプでなければ成立しないのです。

実際、最近の号では、ジャンプのアンケート至上主義に対して登場人物の一人が、デメリットを指摘し改善案を提案しています。

「うわあ、ジャンプ編集部、よくこんな作品載せてるなあ」と思わせれば作者と編集部の勝ちでしょう。もちろん、僕はそう思いながら読んでました。まんまと策にはまってます。

原作者の大場つぐみさんの正体はガモウひろし氏だという噂が流れています。

ガモウ氏はかつて『とってもラッキーマン』等でジャンプ誌上で活躍していたギャグマンガ家です。

『デスノート』の時には、まだ正体不明でしたが、『バクマン。』では、コミックス第一巻のカバーイラストに『ラッキーマン』のコミックスがさりげなく描かれていたり、中に掲載されている原作のネーム(コマ割りを指定した下書きのようなもの)の絵がガモウ氏のそれによく似ていること、さらにコミックスのタイトルデザインは『バクマン。』ではなく『BAKUMAN』と英字表記になっているのですが、この下の部分を少し隠すと『RAKIIMAN』(ラッキーマン)と読めること等、随分それらしき痕跡が現れています。
  
自ら正体を明かそうとしているのでしょうか。

それは、かつてジャンプ誌面でマンガ家として戦い、いったんリタイアしながらも原作者として再びヒットを飛ばしたというストーリーを読者に与えた方が、より『バクマン。』という作品の面白さに深みが出るのではないか。そういう計算をしているように思えるのです。

だとしたら、この作品はどういう結末を迎えるか。

ひょっとしたら、主人公達がジャンプに連載が決定したところで「俺達のマンガ道はまだまだ続く」と終わり、翌週からはその主人公達のマンガが新連載として掲載される。

そのくらいの大仕掛けを用意しているかもしれません。

いや、そういうふうになったら面白いなあという僕の妄想ですが。