私たちの祖先はいつ、どこで生まれ、どのように進化したのか? 数万年前の人類世界のようすを、最新の研究成果をもとに見てみよう。毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された記事を紹介する。
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最初の人類は700万~600万年前ごろ、アフリカに現れたと考えられている。進化を重ね、現在、生きている人類「ホモ・サピエンス(新人)」が誕生したのは、30万~20万年前とみられる。アフリカを出たあと、ホモ・サピエンスはまとまった集団をつくり、アラビア半島を経て、中東からヨーロッパやアジア、さらにオセアニアやアメリカ大陸へと広がっていった。アフリカを出た時期は6万~5万年前からとされ、この長い旅は「グレートジャーニー(偉大なる旅路)」と呼ばれている。
じつは、グレートジャーニーに先立つ12万年前ごろ、アフリカから中東へ移動した小集団がいたことが知られている。これに対し、今年1月、イスラエルで見つかった化石から、約19万~17万年前にもアフリカを出た小集団がいたことがわかったと、イスラエルなどの研究チームが発表した。これまでの説より5万年以上も前にアフリカを出たホモ・サピエンスがいたことになる。好奇心と冒険心に富んだ祖先が、こんなに古くからいたのかもしれない。
■最古の洞窟壁画はネアンデルタール人が描いた!?
グレートジャーニーを始めたホモ・サピエンスがユーラシア大陸に移動したころ、そこにはネアンデルタール人が既にいた。しかし、その後、ネアンデルタール人は2万年前までには絶滅してしまった。ホモ・サピエンスに比べて知力が劣っていたので、生存競争に敗れたと考えられている。たとえばフランスのラスコーの壁画制作で有名なクロマニョン人はホモ・サピエンスで、絵を描くような芸術活動は他の人類にはない能力とされてきた。
しかし、今年2月、スペインのラパシエガ洞窟の壁画が洞窟壁画として世界最古で、約6万5千年前にネアンデルタール人によって描かれたらしいと、ドイツの研究チームが発表。事実だとするとネアンデルタール人は、これまで考えられてきた以上に知的だったことになる。
ホモ・サピエンスはネアンデルタール人と結婚して、子どもをのこしていたこともわかっている。ネアンデルタール人の骨の化石からDNAを取り出し、現代人と比べたところ、アフリカ系以外の人は、ネアンデルタール人の遺伝子の1~4%を受け継いでいることがわかった。
また、5万年前ごろには、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人のほかに、少なくとも2種の人類がいたようだ。
一つは「フローレス原人」。2003年にインドネシアのフローレス島で発見された化石から存在が明らかになった小型の人類で、身長は1メートルほど。体も脳も小さいが、精巧な石器や火を使っていた。
もう一つは「デニソワ人」。08年、ロシア南部のデニソワ洞窟から、子どもの骨の一部と大人の歯の化石が見つかり、取り出したDNAから未発見の人類であることがわかった。彼らはネアンデルタール人に近いともいわれ、その後の研究から、ホモ・サピエンスは、デニソワ人とも結婚して子どもをのこしていたことがわかっている。
このほかにも未解明の人骨化石が中国などで見つかっている。研究が進めば驚くような新事実が見つかるかもしれない。(上浪春海)
【約5万年前、地球にいた人類】
4種以上の人類がいたことが、最近の研究でわかっている。現在、地球にいる人類はすべて「ホモ・サピエンス」
(1)ホモ・サピエンス(新人)
約30万~20万年前にアフリカで誕生し、世界各地に広がった。約4万5千~1万5千年前にヨーロッパや北アフリカに分布していたグループは「クロマニョン人」と呼ばれる。洞窟に壁画を描くなど芸術活動を行っていた。
(2)ネアンデルタール人
約30万年前から数万年前までヨーロッパや西アジアにいたとされる。石器や火を使っていたが、言葉を使う能力などが、ホモ・サピエンスより劣っていたと考えられている。2万年前までには絶滅。ホモ・サピエンスと結婚し、子どもをのこすこともあった。
(3)フローレス原人
フローレス島(インドネシア)の約10万~6万年前の地層から骨の化石が発掘された。身長1メートルほどの小型の人類。孤島に定着すると動物は小型化する傾向がある。フローレス原人もその一例ではないかと考えられている。
(4)デニソワ人
ロシア南部のデニソワ洞窟の4万8千~3万年前の地層から、子どもの小指の骨と大人の歯の化石が発掘された。DNA分析した結果、ホモ・サピエンスやネアンデルタール人とは異なる未知の人類とわかった。
【北方の人も肌は黒かった!?】
イギリス南部で見つかった約1万年前の男性の骨からDNAを取り出して遺伝子を調べたところ、黒い肌と青い瞳をもっていたことがわかったと、今年2月、ロンドン自然史博物館の研究チームが発表した。一般に、赤道近くの人は肌の色が濃く、高緯度地方の人は肌の色が薄い。赤道付近では強い日差しを防ぐために肌は黒いほうが、高緯度地方では日差しを有効に体内に取り入れるために肌は白いほうが好都合だからだ。ホモ・サピエンスは、約4万5千年前にヨーロッパに住むようになり、ほどなく肌の色が薄くなったと考えられてきた。だが、肌の色が薄くなった時期は、もっと最近のことかもしれない。
※月刊ジュニアエラ 2018年6月号より