その後、朴大統領の支援者が職権乱用などの罪で起訴。大統領自身も権限を停止されて退陣を求める声が高まった。朴大統領が進めた日韓合意に反対して像を建てる運動が進められ、韓国を中心にアメリカなど国内外で50体以上に急増。韓国第2の大都市・釜山でも学生らが昨年12月、日本総領事館前の歩道に像を設置した。

 日韓合意では韓国政府が「少女像について適切に解決されるよう努力する」としている。釜山の地元自治体は像を強制的に撤去したが、批判が殺到すると一転、設置を認めた。韓国の市民らは「日韓の政府間合意に市民は縛られない」として撤去に反対している。日本政府は対抗し、ソウルにいる駐韓大使と釜山にいる総領事を一時帰国させた。

■少女像に込められた意味

 少女像にはどんな意味があるのだろうか。

 日本政府は2月から「慰安婦像」と呼ぶことにしたが、韓国側は「戦争と軍隊の犠牲にされた痛みを分かち合う場」にしたいとの願いを込め「平和の碑」「平和の少女像」と呼んでいる。

 作者の韓国人彫刻家夫妻によると、元慰安婦として名乗り出た女性の多くが「慰安所に連れていかれたときは未成年だった」と証言したことなどから、像を民族衣装のチマ・チョゴリを着た少女の姿にした。だれも座っていないイスを隣に置き、未解決のまま多くの元慰安婦が亡くなったことを表したという。

 改めて考えてみたい。なぜ日本政府は少女像の撤去を求めるのだろうか。なぜ韓国人の多くは日韓合意に反発するのだろうか。なぜこの問題で日韓両国は和解できないのだろうか。

【慰安所は何のためにつくられたのか】
 日本と中国の武力衝突「満州事変」が起きた翌年の1932年ごろ、軍の関与の下で中国に最初の慰安所がつくられた。第2次世界大戦中には軍が占領するアジア太平洋各地に広がった。慰安所で女性たちは管理された。日本の軍人が現地女性を強姦するなどして住民の反日感情が強まることを防ぐほか、軍人の慰安、将兵が現地女性と接触して性病にかかったり、軍の機密がもれたりすることを防ごうとしたのが目的とみられる。

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