小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』では、毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている。今回は沖縄県に数多くある「アメリカ(米)軍基地」について、ジャーナリストの堀潤さんの解説を、本誌より紹介する。
* * *
日本を代表する観光地である沖縄県。今から約70年前、この地は悲劇の舞台になりました。アジア・太平洋戦争では一般市民までもが戦闘に巻き込まれ、爆撃などによって多くの犠牲者を出し、「お国のために」と自ら死を選ばざるを得ない人もいたという、とても悲しい歴史を持っています。みなさんよりも少し年上の少年少女たちが兵士や看護師として戦争に駆り出され、傷つき、命を落としていったのです。
戦後、日本は連合国軍によって占領され、本土は1952年に独立を回復しましたが、沖縄は72年までアメリカの領土でした。当時、日本中には数多くの米軍基地が存在していたのですが、本土で基地反対の運動が起き、次々とアメリカ領だった沖縄に移されました。現在、国内の132カ所に米軍基地があり、うち33カ所が沖縄にあります。
戦後、日本とアメリカは「日米同盟」を結びました。日本が他国から武力攻撃された場合、日米がどのように協力し合うのかなどのルールを、さまざまな条約や協定によって決めています。そのうちの一つ、「日米地位協定」では、米軍が日本を守る代わりに、米軍基地の建設や維持費は主に日本が負担し、米軍の兵士には原則、日本の法律の権限が及ばない特権も保証しています。
これによってどんなことが起きたのでしょう? 例えば、95年に3人のアメリカ兵が12歳の沖縄の少女を拉致して、性的に暴行するという卑劣極まりない事件が発生しました。それにもかかわらず、日米地位協定で定められた特権によって、3人のアメリカ兵を日本の法律で裁くことができなかったのです。アメリカ兵が起こした事件はほかにもあり、沖縄県民のみなさんを苦しめてきた事実があります。こうして「基地反対」の声が大きくなっていったのです。
次のページへ