6月23日は「沖縄・慰霊の日」だ。今年は沖縄戦から75年となる。沖縄を巡り今何が問題か、やるべきこととは何なのだろうか。小中学生向けのニュース月刊誌「ジュニアエラ」7月号で解説した。
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わしは沖縄島に宿る精霊じゃ。普段は深い眠りに落ちておるのだが、最近は「基地問題」で騒がしくて、おちおち寝てもおられん。ジュゴンも寄りつかんようになった。なぜこうなったのか。すべては75年前の日本とアメリカ(米国)の戦争、「沖縄戦」が尾を引いておるのじゃ。
沖縄島中部の西海岸に米軍が上陸したのは、アジア・太平洋戦争末期の1945年4月1日。米軍はその約1週間前から、沖に停泊した約1500隻の艦船による艦砲射撃と、空襲を島に浴びせていた。このすさまじい爆撃を沖縄の人々は「鉄の暴風」と語り継いでいる。沖縄戦を通じて使われた爆弾は約20万トン。今も2千トン近くが不発弾として地中に残る。
地上戦は約3カ月続き、日米両軍と民間人ら約20万人が亡くなった。沖縄県民の4人に1人の命を奪った沖縄戦の特徴は、住民を巻き込む悲劇を各地で生んだことだ。
「本土決戦」に備える時間稼ぎのため、沖縄の日本軍はぎりぎりまで降伏しない持久戦を命じられていた。このため日本軍は、米軍と比べて圧倒的に不利な戦力を補う目的で、15歳から45歳の住民を沖縄現地で「根こそぎ動員」した(最終的には14歳以上の男子中学生も対象になった)。この結果、10代の少年少女を含む2万2千人以上の県民が戦場に駆り出された。
狭いエリアに住民と兵士が混在することで、味方の日本軍からスパイ容疑で殺害されたり、熱病にかかる危険のある森林地帯に追いやられたりして亡くなる住民もいた。日本軍との「共生共死」を強いられた揚げ句、避難先の洞窟で家族などが「集団自決」する悲劇も起きた。沖縄には今も「戦争トラウマ」に苦しむ高齢者が多くいる。
沖縄戦の組織的戦闘が終結した6月23日は沖縄・慰霊の日とされ、戦没者を悼む催しが毎年、沖縄各地で営まれる。県主催の沖縄全戦没者追悼式には首相も招かれる。悲惨な戦争を二度と繰り返さないよう誓う大切な場だ(今年は規模を縮小して開催)。
この式典でここ数年、沖縄県知事が政府に「県民の声にしっかり耳を傾けて」と訴えざるを得ない状況が続いている。国が一方的に新基地建設を進めているためだ。
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