いま、森喜朗氏の発言で改めてクローズアップされているのが、ジェンダーの問題だ。私たちは「男らしさ」や「女らしさ」に知らず知らずのうちに縛られていないだろうか。小中学生向けニュース月刊誌「ジュニアエラ」3月号では、この社会的につくられた"思い込み "について解説した。

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 3月8日は国際女性デー。男性と同様の権利を求めて闘ってきた女性たちをたたえる日で、ジェンダーについて考える機会ともなっている。では、「ジェンダー」って何だろう?

 料理や裁縫がとても上手な小学生がいる。それが男の子なら「男の子なのに珍しいね」、女の子なら「いいお嫁さんになるね」と言われる─。みなさんは、そんな経験をしたり、似たようなシーンをドラマやアニメで見たりしたことがないだろうか。

 体のつくりの違いによる生物学的な性別ではなく、社会の価値観からつくられた性差を「ジェンダー」と呼ぶ。「家事や育児は女性がするもの」「くよくよするのは男らしくない」。そんな「男らしさ」「女らしさ」のイメージも、社会的につくられたものだ。

 世界経済フォーラムという組織がほぼ毎年、世界各国の男女格差を順位づけしている。政治、経済、教育、健康の四つの分野で、どのぐらい男女平等が進んでいるか、比べるものだ。  進んでいるほど順位が上がるが、2019年12月に発表された日本の順位は、153カ国のうち121位という低さ。とりわけ、国会議員や大臣は男性が女性よりはるかに多く、これまで女性の首相はいない。企業や役所でリーダー的な役割に就いている人も、男性のほうが明らかに多い。

 こうした実情とジェンダーは、卵とニワトリの関係といえる。「リーダーは男性がなるもの」。そんな思い込みが、リーダーをめざす女性の芽を摘み、女性が増えないことで「リーダーは男性」というイメージがさらに強められるからだ。

 一方、ジェンダーを超えて、どんな人もありのままの自分でいられることをめざす動きもある。

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三島あずさ
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