東京都立日比谷高校の生徒、教職員、OB・OGは喜んでいるという。
今年、同校からの東京大合格者は63人を数え、高校別ランキングで全国9位。約半世紀ぶりに60人を超えたのだ。1970年の99人(5位)以来ということになる。71年は57人で、それ以降は2016年の53人が最多だった。
だが、50年代、60年代の日比谷高校はこんなものではなかった。東京大合格者数ではぶっちぎりの1位を続けていた時期がある。
その絶頂が64年だった。なんと193人も合格者を出している(ランキング参照)。
60年代前半、日比谷からの東京大合格者は60年141人、61年171人、62年186人、63年168人、64年193人、65年181人だった。
なぜ、日比谷はこんなに強かったのか。
日比谷高校の前身は1878(明治11)年創立の東京府第一中学(のちに府立一中、都立一中などに改称)である。旧制第一高等学校(現在の東京大)への進学者が多く、官僚や学者を育てるエリートコース「一中、一高、東大(帝大)」の起点とみなされていた。実際、都内の成績優秀な生徒が集まってきた。
戦後、六三三四制という新しい教育体制になり、一中は日比谷高校に生まれ変わったが、「日比谷に入れば東大は近い」というエリート校の役割は引き継がれていく。新制の東京大が誕生した49年から60年代後半まで、東京大合格者数でトップを続けていたのである。
このころ、日比谷高校に入るため、中学生は猛烈に受験勉強をしていた。56年から都立高校入試は9教科となった(国語、社会、数学、英語、理科、音楽、美術、保健体育、技術・家庭)。900点満点の試験で、日比谷に合格するためには830点以上必要と言われていた。平均92.2点であり、他の都立高校よりも高かった(当時の高校受験資料から)。なお、都立高校を受験するためには都内の中学を卒業しなければならない。そこで、他県から都内の区立中学に転校してくる教育熱心な家庭もあった。
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